美濃国岩村城の歴史と関連武将たち
美濃国岩村城の生い立ちから戦国時代をかけて来た、織田信長の叔母である「おつやの方」女城主、徳川時代の平和時代から明治維新まで歴史のあれこれ。
投稿日:2026年1月9日
-
執筆者:rikutarou
関連記事
頼朝挙兵で伊豆の堤信遠・山本兼隆を討った側近たちー岩村での伝説
どうして源頼朝が平家を倒す計画をたてたか? 平氏も源氏も同じ天皇が先祖です。 第50代天皇・桓武天皇には34人の子供がいて、あまり多いので東の方を治める仕事を任されるのが …
明智光秀の家紋は、土岐氏のながれをくみ桔梗紋それも水色桔梗を家紋にした
家紋とは、一体なんだろう? 明智光秀が用いていた家紋は土岐氏の流をくむ「桔梗紋」を使いました。 ▲以前に可児市まで行って写真を撮ってきました …
和田合戦はなぜ起きたか?甥の胤長の処罰で義時に挑発された
和田義盛は久安3年(1147年)生まれ、三浦義村は仁安3年(1168年)歳の差19歳あるけど三浦一族で従兄弟の二人。 義村の父・三浦義澄は13人のメンバー、和田義盛もメン …
父・信虎を追放して武田晴信の領土拡大は120万石となって各地に城を築く
戦国武将の武田信玄の領地は、甲斐国を中心に信濃国・駿河国・上野国・飛騨国・美濃国・三河国・遠江国の一部など、9ヶ国に及びました。 最盛期には120万石の領土を有し、武田信玄 …
滝川一益はなぜ清州会議に遅刻したのか?不参加の理由と哀れなその後
織田信長の重臣であり「織田四天王」※の一人だった滝川一益は、天正10年(1582年)6月27日の清須会議に出席していません。 本能寺の変、直後に関東で北条氏と戦い(神流川の敗戦)、命からがら領国へ逃げ …
2026/09/22
【豊臣兄弟】寧々と秀長の信頼関係とは?秀吉を支えた絆のエピソー
2026/09/21
朝倉義景の最期とは?賢松寺での自決と裏切った朝倉景鏡の末路
2026/09/19
豊臣秀次の悲劇!秀吉に翻弄された生涯と切腹事件の真相に迫る
2026/09/17
【豊臣兄弟】安藤直次とは何者?池田元助を討った戦功と生涯
2026/09/16
小早川秀秋と家康の鉄砲は虚構?関ヶ原で裏切り者とされた真相
このサイトについて
東美濃の岩村城の歴史(いまから800年余に鎌倉時代に築城された山城、日本三大山城の一つ、他に岡山の備中『松山城」奈良県の「高取城」があります)について書いています。のちに世間に有名な人物は林述斎・佐藤一齋等を輩出した岩村藩は江戸時代になって松平乗紀(のりただ)が城下に藩学としては全国で3番目にあたる学舎を興し、知新館の前身である文武所とた。気楽に読んで頂ければ嬉しいです。
日本の歴史
カテゴリー
広告
検索
にほんブログ村