春に行けなかった、残り第1番から第10番と客番2寺を紹介します。
以下、恵那三十三霊場の第1番〜第10番と客番※1。
恵那の恵那三十三霊場を1日で廻るのは、車で走ってお参りをして来るなら廻れるけど、それでは心がこもったお参りではないような気がします。
2019年の
秋季 ご開帳期間:10月12日(土)〜10月18日(金)
御朱印帳(1,100円)と恵那観音霊場小冊(別売り)と各お寺で御朱印を貰うのに300円必要です。
般若心経を読めるように覚えて置くと良いと思います。
摩訶般若波羅蜜多心経 観自在菩薩。行深般波羅蜜多時。照見五蘊皆空 度一切苦厄舎利子‥
(以下略)というふうに‥
▲恵那市三十三観音霊場巡り地図
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①のコース
第1番札所 慧日山東禅寺黄檗宗(恵那市大井町新栄町354-21)→第2番札所 法昌山長栄寺曹洞宗(恵那市長島町中野568)→第3番札所 泰養山高安寺曹洞宗(恵那市長島町永田557-2)→第4番札所 稲荷山長国寺曹洞宗(恵那市大井町1248)→
第5番札所 嶺松山大林寺曹洞宗(中津川市千旦林1346-14)→第6番札所 九翁山源長寺曹洞宗(中津川市茄子川1314)→第7番札所 萬松山宗久寺曹洞宗(恵那市東野1282)→第8番札所 瑞雲山禅林寺曹洞宗(中津川市飯沼505-1-2)→
第9番札所 賀雲山萬嶽寺曹洞宗(中津川市阿木101-1)→第10番札所 天徳山東光院臨済宗(恵那市岩村町富田2546)→客番 出生山子安寺天台宗(中津川市飯沼 禅林寺)→客番 捕陀山龍泉寺天台宗(中津川市阿木101-1)
※1:客番とは、33ヶ所に入らなかった場合や、後から追加になった由縁のあるお寺などです。巡る必要は、あるといえばある、ないと言えば無い‥‥それぞれの客番の由来を見て、判断してください。なお、朱印帳によっては、最初から客番の寺の主因の位置まで決められているものもあります。
第一番札所
慧日山東禅寺(黄檗宗)
ひむがしに 慧日のぼれば 観世音
慈悲のまなこの あたたかき寺
🔳本尊:十一面千手観世音菩薩
🔳開祖:延寳元年(1673年)
🔳開山:石雲道如禅師
▲東禅寺
縁起:東禅寺は恵那地区2市1郡における唯一の黄檗宗に属する寺院である。延宝元年(1673年)開基通源逹公禅徳が尾張国志段味にあった廃寺同様になっていた寺を、許可を得て大井後田の地へ移して東禅寺を再興した。
更に京都宇治にある大本山萬福寺より、第三代住職慧林禅師の弟子、石雲和尚を迎えて開山となした。
開基通源禅徳は、一寺建立という大悲願を成就し、将来盤石の基礎を築かんとして、自ら石室を造り、弘法大師の石像を抱いてその中に入り、扉を固く閉じて入定されたのである。
室中の経の声と磬(きん※2とも読む。またけい※3とも読む)の声が途絶えた延宝6年8月28日が、その命日とされている。
※2:磬(きん)の場合は、《唐音》読経の際に打ち鳴らす、銅製や鉄製の鉢形をした仏具。禅宗で用い始めたもの。磬(けい)とは異なる。銅鉢。
※3:磬(けい)の場合は、中国古来の打楽器。枠に中に「へ」の字形の石板をつり下げ角(つの)製の槌で打ち鳴らすもの。石板が一個だけの特磬と十数個の編磬とがある。宋代に朝鮮に伝わり雅楽に使用。日本では奈良時代以降、銅・鉄製の特磬を仏具に用いる。
幕末に至る二百年間に、寺は二度の火難に遭い、哀徴の一途を辿ったが、九代英山和尚の発願により、後田より大正四年に現在地に移転された。
▲十一面観世音菩薩
十一面千手観世音菩薩
本尊は十一面千手観世音菩薩です。
等身大の寄木造りで、尾張志段味あって当時のものと思われます。
寺の廃虚と共に放置されてあったらしく破損ははなはだしく、志段味より移転時に大修理を加えたものです。
躰の一部には藤原時代の作風が見られ,等身大のご本尊はこの地方では非常に数少ないと思います。
第二番札所
法昌山 長栄寺(曹洞宗)
のりの花 ながく栄えむ ためしには
中野になをる 松のむら立
🔳本尊:聖観世音菩薩
🔳開祖:慶長19年(1542年)
🔳開山:霊一如童大和尚
🔳特徴:当寺山門は二階に鐘楼を兼ねた鐘楼門であった。現在は鐘楼を別に建立。境内池 の中には彦根大洞弁財天を奉る。また、寺の裏には能力寺古墳と呼ばれる古墳があ る。
▲長栄寺
縁起:開基は、恵那郡中野村可知興兵衡次男、慶長二酉年二月千旦林村大林寺玄隆和尚に得度、正峯祖全と改名、後に可児郡御嶽中村、大智山愚渓寺に住し、更に慶長五辛子年中野大崎に庵を建て宝福庵と号す。
慶長九年客殿を建立す。
元和元年中尾山威徳院と屋敷替えをして、現在地に移る。寛文元辛五年法昌山長栄寺と改め竹折瑞現寺末寺となる。
文政十二丑年正月廿八日瑞現寺十世霊一如童大和尚を法地開山に奉請す。その後元禄三年庫裡建立、寛永八年に、客殿を建て替え、文政二年に庫裡の再建、嘉永二年に鐘楼門の建立、鐘鋳を行なっている。
現在の庫裡は昭和9年に建てたものです。世代については、開基より九代、法地開山より現住職で十一代目です。
聖観世音菩薩
当寺の本尊でもある聖観世音菩薩は木像の座躰である。
本体の天地一尺一寸、宝永五年子年十二月八日当寺六世光岩和尚の代に当寺檀家である可知彦八良氏の寄進よるものです。
聖観音の聖は梵語の阿黎耶の訳語で尊いという意味です。
普門品に「水や火・黒風(暴風雨)・羅剎・刀杖・夜叉・杻機枷鎖(縛られて自由を奪われる)怨賊の難が迫り来るとも、諸々の善男子よ恐怖すること勿れ汝等まさに観世音菩薩の名号を称えよ。
この菩薩は能く無畏を持って衆生に施し玉う。
第三番札所
泰養山 高安寺(曹洞宗)
のぼりてみれば ありがたや
二世安楽の ふかきちかいを
🔳本尊:聖観世音菩薩
🔳開祖:慶長20年(1543年)
🔳開山:(草創)徳外玄隆大和
🔳特徴:本堂は東に面し旭日と御本尊が対面して、清々しい朝に合う。山の中腹に位置し 三方を緑に囲まれ、椿と桜が春を一層高め落葉樹うの多い山は秋を紅に采流。
▲高安寺
縁起:戦乱止んで数十年、世は平安を取り戻しつつあったとは言え民衆の不安は止むことはなかった。
その頃、村人の要請を受け、教化の道場を開くべく、寛永二十年宗門は徳外玄隆和尚を遣し早創開山をした。
時に後光明天皇即位の年。
泰養山高安寺と称して、一寺に止まり得ぬ隆和尚は、首座に教化と管理を委ねた。
二代首座の時、明暦元年村人の心の拠ろとして阿葉院殿大姉によって現在の本尊菩薩が奉安された。
代を重ねて百十三年間、首座によって教化と寺の維持が続けられた。何代の首座か明らかではないが、寺門興隆の跡が、今に残る寺領、山林田畑の開拓に伺える。
文政二年宗門は、この寺を法地とし、改めて御開山瑞巌台橋大和尚を任命した。
その後、二世様は明治八年に没するまで、教化のかたわら伽藍の整備を施し、ほぼ現在の容範とした。
堂内諸像も寄進居士あって、そのころに奉安されたものである。
当寺は木曽路西口の岐阜県恵那市在住、両側に谷川を配し、裏山は頂上まで寺領が続き、世代様開基様等の墓所があります。
▲聖観世音菩薩
聖観世音菩薩
明暦元年阿葉院殿※1によって寄進されたもので、頭に宝冠を戴※2(たい)せ、天衣瓔珞(てんいようらく)で身を装い、お釋迦様当時のインド国王の服装である。
左手に蓮華をお持ちになり、右手は中生印を示し、苦しみ迷う煩悩多き衆生を救済されるお姿で般若波羅密を行じ、結跏※3(けっか)でお座りになっておられる。
三世の衆生を一人残さず救おうと深き慈悲行を実践しておられるお姿は青年期のお釈迦様を想起させ、やさしい眼差しに会うとき、自から心は平安を得、身は清浄を覚える。
※1:院殿とは、院殿号(いんでんごう)とは戒名のひとつ。本来は院号の下位だが、江戸時代以降、実質上の権力者が院殿号を 用いたため、事実上の最高位の諡(おくりな)号とされている。
※2:戴とは、頭にものをのせる。
※3:結跏とは、「結」とは趺を交差させ、「跏」とは反対の足の太ももの上に乗せること。
第四番札所
稲荷山 長國寺(曹洞宗)
こゑなくば いかですぐさむ 長国寺
まだ夜ふかきに なくほととぎす
🔳本尊:釈迦牟尼如来
🔳開創:大宝2年(702年)
🔳開山:體巌雲恕大和尚
特徴:行基菩薩の草創。西行法師が東北へ行脚の帰途、大井の里に滞在し、建久九年(1198年)春、ここで入寂。西行法師の葬送は長国寺で行われた。
▲長国寺アプローチ
▲長國寺
縁起:大宝二年(702年)行基菩薩自ら観音像を刻み観音像を建立し安置された。
長国寺の草創である。
近くの古刹長興寺には、聖徳太子御作の観音像が奉安されており、子供が授かることで有名であった(妊観音ハラミカンノンと呼ばれていた)文武天皇(在位697年〜707年)には皇子が無かったが、妃が妊観音に祈願され豊桜彦尊をご出産された。
聖武天皇(在位724年〜748年)である。
鎌倉時代に源頼朝の臣、信州の郷士根津甚平是行も妊観音に祈り一子を得た。
時の在職円浄和尚に、その謝礼を申し入れたところ、火災で荒廃している近くの長国寺(当時は大慈山長谷寺と称した)の復興が望ましいとのことで、早速甚平は天台宗の栄慶和尚を願い寺号を稲荷山長国寺と改めた。
戦国時代の永正八年(1511年)大井をはじめ近郷の神社仏閣は兵火により尽く焼き払われ、長国寺も伽藍(がらん)すべて鳥有に帰した。
元亀三年(1572年)春、曹洞宗體巌雲恕大和尚を招いて開山とし、宿駅の東南に寺を建立し長国寺は再復興された。
現在の場所に寺が移ったのは、延宝年間(1673年〜1680年)のことである。
▲妊観世音菩薩
妊観世音菩薩
本堂東側中央に妊観世音菩薩が安置されている。
五百年の時空を超えて再祀奉安。
子授けの霊験灼かなこの仏は妊観音(ハラミカンノン)と呼ばれ親しまれている。
到彼岸の知慧(般若波羅蜜)を授けてくださるところがら、波羅蜜観音と呼称。
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第五番札所
嶺松山 大林寺(曹洞宗)
香りも高き 大林寺
嶺ゆく松の 風ぞすゞしき
🔳本尊:聖観世音菩薩
🔳開創:天正8年(1580年)
🔳開山:照庵玄光大和尚
特徴:中央線美乃坂本駅より徒歩5分、中央線中津川インターより5分、吉野秀雄第23号歌碑、亀谷臥石一号句碑あり。
▲大林寺 ▲聖観世音菩薩
第六番札所
久翁山 源長寺(曹洞宗)
ことの葉に つきぬ流れの 茄子川
みなもと長き 寺のみのりを
🔳本尊:釈迦牟尼如来
🔳開創:寛永2年(1625年)
🔳開山:鸑州應鷟大和尚
特徴:茄子川の中心の平地にあり、境内にはシダレ桜・樫の古木がある。恵那中央新四国八十八ヶ所の七番の札所にもなっている。裏の墓地の友三墓は痔に霊験があらたかである。
▲源長寺 ▲聖観世音菩薩(江戸初期の作、厨子入り。前の本尊であった。前立仏は鎌
倉末期から室町初期の金剛仏)
第七番札所
萬松山 宗久寺(曹洞宗)
こゑなくば いかですぐさむ 長国寺
まだ夜ふかきに 東野のさと
🔳本尊:聖観世音菩薩
🔳開創:元和2年(1616年)
🔳開山:葉山嫰奕大和尚
特徴:恵那三十三観音第7番札所、中部四十九薬師第二十六番札所霊験あらたかな「水かけ地蔵尊」寺宝、阿弥陀如来。蓮如上人真筆六字の名号。(市文化財指定)
▲宗久寺 ▲聖観世音菩薩
第八番札所
瑞雲山 禅林寺(曹洞宗)
さわりなき まよいをはらす 禅林寺
田ごとの月と ここに飯ぬま
🔳本尊:聖観世音菩薩
🔳開創:寛永11年(1634年)
🔳開山:斧峰牛鈯大和尚
特徴:本堂は稀にみる茅葺屋根が高く聳え文化財的価値がある。境内に直径1メートル余もある樹齢300年余の大銀杏と、150本余の大株南天古木は珍しい、堂内に市重要文化甕※型縄文土器がある。日本民踊研究会初代会長島田豊年先生の句碑があり、広い庭園に1000本有余のサツキがあります。
※天皇の祭具の一つ、手を洗う水を入れるかめ。
▲禅林寺 ▲聖観世音菩薩
第九番札所
賀雲山 萬嶽寺(曹洞宗)
いりあいの かねにつくづく 思いしれ
常なきおとや 夕ぐれのくも
🔳本尊:聖観世音菩薩
🔳開創:慶安3年(1650年)
🔳開山:在天三龍大和尚
特徴:〈ほほえみ地蔵と花の寺〉境内の各所にほほえみ地蔵様が安置してあり、四季を通して美しい花々が咲き乱れています。三州豊川稲荷を奉祀し商売繁盛、交通安全、家業繁栄、心願成就、合格祈願等霊験あらたかにて、参拝者が絶えない。
▲萬嶽寺 ▲聖観世音菩薩
第十番札所
天徳山 東光院(臨済宗)
とやかくと 思うこころを うちすてて
夢うつつにも ねがへのちの世
🔳本尊:不見日観世音菩薩
🔳開創:大永年間(1521年〜1528年)
🔳開山:仏光国師(無学祖元禅師)
特徴:岩村町の富田にある農村地帯の中央に位置し、静閑である。明覚山大圓寺の本尊仏と最後の住職希庵禅師を祀ってる。
▲東光院 ▲十一面観世音菩薩
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客番
出生山 子安寺(天台宗)
ただたのめ ははその森の 子安でら
たとへちしほに いろはそむとも
🔳本尊:如意輪子安観世音菩薩
🔳開創:(1288年〜1291年)
客番
補陀山 龍泉寺(天台宗)
いりあいの かねにつくづく 思いしれ
常なきおとや 夕ぐれのくも
🔳本尊:聖観世音菩薩
🔳開創:慶安3年(1650年)
🔳開山:在天三龍大和尚
特徴:〈ほほえみ地蔵と花の寺〉境内の各所にほほえみ地蔵様が安置してあり、四季を通して美しい花々が咲き乱れています。三州豊川稲荷を奉祀し商売繁盛、交通安全、家業繁栄、心願成就、合格祈願等霊験あらたかにて、参拝者が絶えない。