美濃国岩村城の歴史と関連武将たち
美濃国岩村城の生い立ちから戦国時代をかけて来た、織田信長の叔母である「おつやの方」女城主、徳川時代の平和時代から明治維新まで歴史のあれこれ。
投稿日:2021年5月6日
-
執筆者:rikutarou
関連記事
岩村城女城主の夫の先祖が『神』になって祀られている八幡神社・武並神社を観光しよう
岩村城(別名 霧が城)は日本三大山城の中でも一番高い標高717mです。 幼き頃は歴史も何も知らず、ただお城山と言って「ソリ」遊びをしたり棒切れを持ってチャンパラをしたり、学校から冬場のス …
承久の乱で御家人を動かした北条政子の神演説で後鳥羽上皇軍を破った
▲加藤景廉一族の墓(沖の原五輪の塔) 我が故郷の岩村城の祖の加藤景廉が、頼朝より地頭を賜ったのに、承久の乱後、加藤景廉が亡くなった。 承久3年(1221年)8月3日没。 &n …
小早川秀秋は関ヶ原の戦いでなぜ東軍(家康)に寝返ったのか
小牧・長久手の戦い後、豊臣政権の中、秀吉が後継者の秀頼が幼いため政務が出来ない事を心配して五大老・五奉行を置いた。 五大老とは、徳川家康・毛利輝元・前田利家 …
頼朝挙兵で伊豆の堤信遠・山木兼隆を討った側近たちー岩村での伝説
どうして源頼朝が平家を倒す計画をたてたか? 平氏も源氏も同じ天皇が先祖です。 第50代天皇・桓武天皇には34人の子供がいて、あまり多いので東の方を治める仕事を任されるのが …
明智光秀の愛妻・煕子との出会、妻木城とはどんな城だったか?
妻木城は岐阜県土岐市の南部、妻木川を通って約4Km、三方を山に囲まれた小さな盆地が妻木町です。 いまでは、近辺にはゴルフ場が点在してます。 妻木城は標高409 …
2024/04/28
紫式部と親交のあった女流歌人・赤染衛門ー藤原道長の正妻・源倫子と彰子に仕えた女房
2024/04/27
紫式部と藤原道長の出会いは架空の恋か歴史の真実の恋か
2024/04/20
藤原為時が道長に越前国府に任命され同行紫式部は一足早く京へ戻った理由
2024/04/06
須磨から光源氏は明石へ!明石の君との 出会いと別れ
2024/03/31
『源氏物語』光源氏は政敵の妹・朧月夜と関係を持ってなぜ須磨の地へ
このサイトについて
東美濃の岩村城の歴史(いまから800年余に鎌倉時代に築城された山城、日本三大山城の一つ、他に岡山の備中『松山城」奈良県の「高取城」があります)について書いています。のちに世間に有名な人物は林述斎・佐藤一齋等を輩出した岩村藩は江戸時代になって松平乗紀(のりただ)が城下に藩学としては全国で3番目にあたる学舎を興し、知新館の前身である文武所とた。気楽に読んで頂ければ嬉しいです。
日本の歴史
カテゴリー
広告
検索
にほんブログ村