現在ある岩村城下町は、戦国時代に織田信長の叔母である「おつやの方」と武田信玄の家臣「秋山信虎」の夫婦と戦った信長の家臣・川尻慎吉が岩村城主になった時、天正時代に富田地区にあった城下町を現在の位置に移転したことから始まります。
※上記の河尻慎吉をクリックすると詳しい記事があります。
今では重要伝統的建造物群保存地区(略して、重伝建)に指定されています。
ここまでの規模でしっかり保存、整備されている所は類が少ない地区です。
この地図の元になってるのは、明治の終わりから大正にかけて調べた地図を載せています。
上町(かんまち)すなわち、本町一丁目の事を上町と言っていましたので、あえて上町と言った方がイメージが沸きます。
上町からから駅の所(領家)までの城下町を案内をします。
ここに全体の岩村城下町図を入れてみました。
ここから本町一丁目、二丁目、三丁目、四丁目、五丁目、西町一丁目、二丁目、新町、領家と西に向かって説明しています。
◆城下町付近の位置全図
岩村町の最東に位置する本町一(上町)にある八幡神社から
▲本町一丁目(通称上町)
▲八幡神社
岩村城下町の最東に位置する八幡神社は、町の守り神として加藤景廉公を祀ってある神社です。
西には嫡男の遠山景朝が祀ってある武並神社があります。
※上記の八幡神社をクリックして頂くと関連記事があります。
②八幡さまの天然氷
岩村町の冬は、雪が少なく凍みが非常にキツク、とても冷えます。
凍みの特徴の地域なのです。
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本町一丁目地区⑤を曲がれば城跡・藩主邸跡・資料館に行けます
⑤常夜灯
▲常夜灯
▲本町一丁目から二丁目
③岩村城
※上記の岩村城をクリックして頂くと関連記事が書いてあります。
▲717mの岩村城の頂上・本丸跡
④藩主邸跡・歴史資料館
※上記の歴史資料館をクリックして頂くと関連記事が書いてあります。
- 住 所/ 恵那市岩村町98
- 電 話/ (0573)43-3057
- 営業時間/4月〜11月はAM9:00~PM5.00 12月〜3月はAM9.30~PM4.00
- 休館日/ 月曜日(祝日とダブった場合には翌日休み)年末年始(12月28日〜1月4日)
- 料金/一般300円 ただしシルバー(65歳以上の方)200円 高校生以下は無料
◆岩村歴史資料館
今から830余年前の鎌倉時代に源頼朝の重臣・加藤景廉公、嫡男の遠山景朝公からの歴史をおさめる岩村歴史資料館は、文化庁の歴史民俗資料館設置要領に基づく補助金を受け、1972年(昭和47年)全国で4番目の館としてオープンしました。
高床式、入り母屋づくりの屋根、白壁の外観は城をイメージさせます。
展示品は、岐阜県指定重要文化財として「享保岩村城絵図」「明和岩村城絵図」「佐藤一斎自讃画像」など歴史的価値の高いものばかりです。
◆民俗資料館
草屋根風の民俗資料館は古い民家をそのまま移築したものです。
先人の生活を忍ばせる数々の民具は生活の知恵と技を教えてくれます。
入館券は歴史資料館と共通となっています、ごゆっくりご観覧ください。
ここから西に下っていきますと本町二丁目に入ります
▲本町二丁目付近から三丁目へ
⑥水野薬局
▲水野薬局(板垣退助・吉田茂の実父竹内綱らが宿泊した)
※下記の板垣退助をクリックして頂くと関連記事あります。
明治15年3月自由党総理・板垣退助は東海道遊説に東京から各地周り、28日に名古屋入り31日に一行は濃飛自由党総代の岩田・安田(岩村)が先導して美濃入りをし、随行者の竹内綱(吉田茂の実父)・宮地茂春・安芸喜代香ら20余名が人力車で下街道を夕方多治見入りをした。
翌4月1日一行は岩村へ向かった。
すでに岩村では3月22〜23日の両日政談演説会を行こなっていたので大勢の人が迎える。
本町三丁目裏にあった仮説劇場「滝川座」で演説して、宿舎の水野薬局に板垣退助ら一行が宿泊した家です。
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いよいよ本町三・四・五丁目
▲岩村城下町で本町五丁目・西町一丁目付近が繁華街です。
⑦浄光寺
▲浄光寺の門(桜が綺麗です)
関ヶ原の戦い後、松平家乗が群馬伊勢崎から初代・岩村城主となって入封した時に、伴って伊勢崎から岩村北部に移ってきたお寺です。
慶安2年(1649年)に現在地の城下町に移転、本堂は明和6年(1769年)に建造の土蔵形で珍しい構造となっています。
この浄光寺の娘さんが大奥にあがって老女になっています。
※上記の大奥をクリックして頂くと関連記事があります。
⑧なまこ塀
これは木村家のナマコ壁のある旧酒蔵に一部を解体の際発見されたもの。
この蔵の壁保存のため、その表面に平らな角瓦を斜めに並べ継目を漆喰で固めめたものがナマコ壁です。その盛り上がった形が海鼠に似た所からその名が付いたと言われます。
▲雰囲気のあるなまこ壁
⑨木村家
▲木村家
木村邸は丹羽氏信が入封してきた時に連れてきた問屋で、藩の財政困窮のたびに御用金を調達して危機を救ったといわれています。
それゆえ、丹羽藩主より特別な存在として認められ、藩主が時々訪れた。(当時藩主が商家を訪れるなどということは異例なことであったと言われています)
藩主出入りの玄関・表通りに面した武者窓・上段の間・欄間・茶室は、江戸時代の町屋としての様式を至る所に留めております。
- 住所:岩村町329ー1
- 定休日(祝祭日は開館)・年末年始
入館料:無料
開館時間:AM:10.00〜PM:4.00(12月〜2月はAM:10:00〜PM:3.00まで)
⑩土佐屋
▲土佐屋の外観
土佐屋の内観今から260年前に染物業を営んだ商家です。
当時の藍染めの工程を学ぶことが出来る染め工場や、土佐屋の歴史をおさめた土蔵での展示会、庭の天正疏水などが江戸時代の面影を伝えています。
- 住所:岩村町本町269-1
- 電話:(0573)43-3231恵那市観光協会岩村支部
- 営業時間:AM9:30〜PM4:30(12月〜2月はA M10:00〜PM4:00)
- 定休日:毎週水曜日・年末年始
⑪浅見家
▲浅見家外観
浅見家は慶長6年松平家の御用達さった家柄で、初代岩村城主・松平家乗の入封に従い高崎から、この岩村の地を踏んだ。
八代・浅見政意の代に大庄屋兼問屋となり岩村藩の財政を支えた事から、特例として商人ながら名字帯刀を許されています。
特に後の分家大給・第三代岩村城主・松平乗薀は郡上城の受け取りと在番を担った事から財政が逼迫し、浅見家が多額の費用を調達し難局を耐え凌いだといいます。
⑫勝川家
▲勝川家外観
勝川家は屋号を松屋といい江戸末期から台頭した商家でした。
建物は江戸後期の2階建て2軒の建物が連なっている古い屋敷で書院・茶室・使用人部屋などがあり、江戸絵や能面などが飾られて展示されています。
- 住所:恵那市岩村町本町五丁目
- 定休日:毎週火曜日・年末年始
- 開館時間:AM.10:00〜PM4:00
- 入館料:無料
- お問合せは:勝川家:(0573)-43-4770/ふれあいの舘内:観光協会事務局0573-43-32
⑬かめや菓子店舗&カフェ
▲かめや菓子舗&カフェ
岩村にはカステラ屋さんが3軒ありますが、この店は店内でお客さんの目の前で作って販売していますので、ゆっくりとみれます。
- TEL:0573-43-2208
- 住 所:恵那市岩村町291
- 営業時間:9:00〜18:00 ※カフェは17:00まで(ラストオーサー16:30です)
- 定休日:月曜日(祝日の場合は火曜日)
- URL:http://www.iwamura-kameya.com
⑭町並ふれあい館
▲町並ふれあい館
ここは前は十六銀行の跡でしたが、いまは恵那市観光協会岩村支部と城下町ホットいわむらの事務局になっています。
観光客の皆さんが気軽に立ち寄る事のできる観光案内所。館内には、岩村町の歴代観光ポスターなど岩村町にまつわるものが常時展示されており、訪れる方の質問に答えています。
- 営業時間:AM9:00〜PM4:00、休業日:毎週月曜日(年末年始休み)
- 住所:岩村町263~2
- 電話(0573)43-3231
豆cafe
散歩の途中で美人ママさんの入れるコーヒーを味わって世間話などして一服しませんか?
地元の話とか岩村町の案内をします。
▲豆cafeの入口
- 〒509-7403 岐阜県恵那市岩村町327−2
- 営業時間:営業時間外 ⋅ 営業開始: 9:00 水曜日、勤労感謝の日は時間が異なる場合があります。
- 電話:(090)3950-4026
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いよいよ枡形地形の西町一・二丁目と柳町
この地域は、明治12年に水半本店前に岩村警察署庁舎が落成された場所です。
枡形を南に行くと柳町といって戦前に歓楽街があったところ、もっと南へ行くと歴史ある巌邨神社があります。
時変わって、平成30年上半期の4月〜9月放送の朝ドラ『半分、青い。』のロケ地として選ばれた西町一・二丁目(劇中ではふくろう商店街)です。
▼ロケセットの一部
※上記の『半分、青い。』をクリックして貰うと関連記事があります。
※上記のロケ地をクリックして貰うと関連記事があります。
⑮祥雲寺・庚申堂
▲祥雲寺・庚申堂
岩村城下町の枡形・木戸跡に当時の藩主・松平乗寿が、城下の守護と領民の信仰のよりどころとすて祥雲寺を建立した。現在は通称「庚申堂西一組公会堂」として使われています。
ここで一月八日には「八日ゑびす」が催ししされます。
柳町
戦前「柳町へ行こう」が合言葉であった岩村の歓楽街
⑯岩村名物「菊牛蒡」
※上記の水半名物販売店をクリックして貰うと関連記事が出てきます。
⑰岩村名物「かんから餅」
こ上記のかんから餅をクリックして貰うと関連記事が出てきます。
⑱カステラの松浦軒本舗
▲カステラの松浦軒本舗
日本国に初めてカステラの製法が伝わったのがは、室町時代にポルトガル船が長崎に入港した時でした。
当店の元祖小釜カステラは、江戸時代、長崎で和蘭の技法を伝えたものといわれています。
その特徴は、銅板造りの小釜にて風味をそのままに一本一本を念入りに焼き上げるところにあります。
新町一丁目
▲⑲道標四面塔面
四面塔と道標、「左なこや道」「是より左八なこや道」と書いてある。
「是より右八みたけ道」と書いてある。安永八年(巳亥)は1779年。
▲おこちょさん
新町一・二丁目
▲ ⑳岩村天満宮
文政五年(1822年)木村家六代当主・木村知英が、九州の太宰府より勧請し、ここに造営しました。
学問の神として、崇拝者も多く「楽神祭」を毎年二月と6月25日前後の日曜日行っています。
▲㉑いわむら美術の館
平成12年度に柴田晋吾氏から土地を旧岩村町から取得、建物は同家が寄贈されたので平成14〜15年にわたり恵那市の文化施設として「いわむら美術館」が開設されました。
岩村町画伯・原田芳洲画伯の作品が展示されています。
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領家
▲㉒石室千体仏
石室千体仏は経塚です。寛永九年(1632年)岩村城主・松平乗寿が城の鎮護と領民の安泰繁栄を祈願して建立したものです。
※上記の石室千体仏をクリックして頂くと関連記事があります。
▲㉓武並神社
武並神社は、岩村城主・遠山景朝が配神されています。
神社調べでは延元元年(1336年)鎮座とあるが明確ではないです。
遠山氏の氏神とし、同神社を奉じて遠山氏が領内各地に散在しており、鎌倉末期か室町初期には存在していたことがうかがえます。
寛永八年(1631年)岩村城主・松平乗寿が武並山頂に社殿を造営し、城下町を中心として東に八幡神社、西に武並神社を配し初めて城下町の氏神として恵那郡中心の領民の参拝者の繁昌をみるようになリました。
社殿は大正四年(1915年)9月武並山頂より、現在地へ遷宮されました。