美濃国岩村城の歴史と関連武将たち

美濃国岩村城の生い立ちから戦国時代をかけて来た、織田信長の叔母である「おつやの方」女城主、徳川時代の平和時代から明治維新まで歴史のあれこれ。

松平の始祖

家康の先祖・始祖の松平親氏と清和源氏がどう結びつくか?

投稿日:2022年11月3日 更新日:

  1.  豊田市松平町赤原13の松平東照宮に行くと立派な建物があります。

そこには、徳川家康と松平氏の始祖・松平親氏を祀る神社「松平東照宮」があります。

          ▲松平東照宮

   ▲家康が産湯を使ったとされる井戸

 

神社の敷地は、親氏の義父の三河国加茂郡松平郷の領主・松平信重(太郎左衛門少将)の持ち物であった敷地を利用しています。

 

     ▲松平の始祖・松平親氏像

 

時代ははっきりしていませんが、2代目の松平泰親を調べてみると、室町時代初期(14世紀後半〜15世紀初めの頃)となっています。

 

 

その時代に、◯◯親氏※2が関東或いは信濃国浪合村で鎌倉公方或いは斯波氏※1の軍勢に敗れ足利氏の追捕を避けるために父・◯◯有親※2と共に相模国の時宗総本山・清浄光寺に入って出家し徳阿弥と称し逃れたとされます。

※1.斯波氏(しばし)とは、武家・華族だった日本の氏族で室町幕府将軍・足利氏の一門で細川氏・畠山氏と交替で管領に任じられる有力守護大名でした。

※2.◯◯とは、親氏の先祖は新田義重の末子・義季で、義季は上野国新田郡世良田荘徳川郷(群馬県太田市尾島町)に住んで徳川(又は得川)称したという。

本当かどうか?信じるも信じないもよし、という感じです。

なぜかというと、それだけの武将が出家までして生き延びるか?と思います、また、徳川郷の徳川(得川)の出身の武将が簡単に養子になるか?という疑問が出てきます。

ときの天下を取った将軍が朝廷に進言したことで真意のほどはわかりません。

 

 

徳阿弥になって、諸国を流浪していた僧が。

徳阿弥「乞食僧」「一種の賊民」と表現される親氏が、巡り巡って三河国松平郷に辿り着き領主・松平信重に見込まれて次女の婿養子になって運よく出世したということだと思います。

 

 

それは、運と努力の結果で親氏は還俗して武将に戻った

それが、どうして清和源氏の血を引く家柄とは不思議です。

 

 

天下を取った家康が何をしようが文句を付ける者はいなかった筈で、系図を書き直すことぐらいは朝飯前じゃなかったか?
と僕はみています。

 

 

家康は幕府を作った方がいいと思ったから、そいうふうに系図を誤魔化したんだと推測します。

 

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清和源氏の系図

清和源氏とは、第56代・清和天皇の流れをくみ、臣籍降下※3により源姓を賜った一族です。

※3.臣籍降下(しんせきこうか)とは、皇族が、その身分を離れ、姓を与えられ臣下の籍に降りることをいう。賜姓降下(しせいこうか)ともいう。

 

                       ▲清和源氏

 

 

源氏の中でも最も有名な氏族を輩出した系統で、源頼朝・足利尊氏・武田信玄・今川義元・明智光秀など、そうそうたる顔ぶれです。

 

 

【一般に源氏といった場合清和源氏を指します】

主な清和源氏氏族

摂津源氏:頼光流

源満仲の長男・頼光を祖とし、摂津国に本拠を置いたため後で摂津源氏と呼ばれた。

 

 

摂津源氏の後裔でよく知られているのは土岐氏(美濃源氏)です。

頼光の孫・国房が美濃国へ移り、その後、明智光衛が土岐氏を名乗ったことに始まります。

 

 

美濃源氏

土岐氏が代表的な氏族ですが、最初に土岐氏を名乗ったのは、頼光の孫・国房ともいわれ(諸説あり定かではありません)。

 

 

土岐氏は室町時代に最盛期を迎え美濃国の他、尾張国・伊勢国の守護大名も兼ね栄華を誇っていました。

 

 

土岐氏の庶流に明智氏・蜂谷氏・金森氏などがいます。

 

 

 

大和源氏:頼親流

源満仲の次男・頼親を祖とし、大和国を本拠としたため後にこう呼ばれた。

 

 

戦などの表舞台での目立たった活躍はありませんが、子供達はそれぞれの土地に土着し家は保たれました。
庶流として陸奥石川氏がいます。

 

 

河内源氏:頼信流

源満仲の三男を祖とし、河内国を本拠としたため後にこう呼ばれた。

源氏の中でも武士の源氏といった場合、この河内源氏を指します。

 

 

源頼朝・足利尊氏・新田義貞・木曾義仲・武田信玄らは全て河内源氏の流れを組みます。

 

 

河内源氏は関東に勢力を置き、広く発展し、傍流として石川源氏・常陸源氏・甲斐源氏・信濃源氏があり、この他庶流として足利氏・新田氏がいます。

 

 

石川源氏

源義家の六男・義時が河内国石川を本拠として、義時の息子・義基が石川姓を名乗ったとされています。

 

 

三河石川氏は義時の子孫だといわれています。

 

 

 

常陸源氏

常陸国に移住した河内源氏の一門をいい、義業の子・昌義が佐竹郷を本拠とし、佐竹氏を名乗りました。

 

 

有力豪族と婚姻関係を結び、着々と地位を築いていきました。

源平の合戦では、源氏ながら平氏へ協力して、頼朝により所領を没収されますが、後の奥州合戦では頼朝に従い家を保つことができました。

 

 

甲斐源氏

甲斐国に移住した河内源氏の一門をいいます。

義家の弟・義光が甲斐守となり、その子・義清が武田郷に土着し武田氏を称し、甲斐武田氏が始まります。

 

 

源平合戦の際、吉光の孫・信義は頼朝に協力し信濃国へ攻め込み武功を挙げ、後に大勢力となりますが、頼朝に警戒され失脚します。

 

 

しかし、五男・信光だけ頼朝に気に入られ、甲斐・安芸守護を兼務します。

 

 

ここから安芸武田氏が始まります。

後に戦国最強といわれた武田晴信(信玄)は甲斐武田19代当主です。
庶流には出羽国・浅利氏、蝦夷国・松前氏などがいます。

 

 

 

信濃源氏

主に信濃国に移住した河内源氏の一門をいいますが、幾つかの庶流があり、源満仲の五男・満快(みつよし)を祖とし満快の曾孫・為公(ためとも)の子孫で伊奈氏・村上氏・依田氏。

 

 

頼信の次男・頼清を祖とする、河内源氏支流、甲斐源氏一族の小笠原氏、平賀氏。

木曾義仲を祖とする、木曽氏がいます。

 

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まとめ

清和天皇の系図を調べていても松平家(家康)と清和源氏との接点は発見されませんでした。

 

じゃどうして家康が思いつたか?と考えてみるんも面白いかも知れません。
天下を取って平和の世を続けるために幕府を作ったかもしれません。

 

 

-松平の始祖

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