「 未分類 」 一覧
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半分、青いのロケ地が武田信玄×織田信長の戦いの場であった岩村城
2018/10/11 -未分類
こんにちは、隆太郎です。 生まれ生国は美濃国岩村城下町。岩村高校を卒業するまではお城山には無関心でした、ある時期歴史に関心を持ち始めました。 遠山家最後の城主・遠山景任亡き後 …
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臨済宗妙心寺高層和尚・希庵和尚を襲撃した祟りで武田信玄の天下取りは幻に終わった
2018/09/30 -未分類
武田信玄があの時死ななかったら、天下を取っていただろうか?と記者は自問自答した。 嫌がる希庵和尚を無理やり自分の菩提寺の僧侶にしようと思ったことが運の尽き、希庵は頑として断ったため信玄は …
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江戸時代に創設された恵那三十三霊場をぶらっと遍路して心身共にリフレッシュ、No2
2018/09/24 -未分類
春に行けなかった、残り第1番から第10番と客番2寺を紹介します。 以下、恵那三十三霊場の第1番〜第10番と客番※1。 恵那の恵那三十三霊場を1日で廻るのは、車で走ってお参りをして来るなら廻れるけど …
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岩村町の秋まつりは加藤景廉と遠山景朝のまつりと岐阜県無形民俗文化財の獅子舞
岩村町の秋祭りは加藤景廉と息子遠山景朝の対面絵巻。 当時の衣装で城下町を二日間かけて繰り広げる。 八幡神社と武並神社のお祭り、この『岩村町の秋まつり』は、毎年 10月の第1 …
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徳川時代の初代岩村藩城主は大給松平家宗家出身、小藩ながら家康の親戚三河の松平家
徳川時代によく使われる、大給(おぎゅう)とう言葉は何だろう。 初代岩村城主松平家乗は家康から一字を貰って家乗と名乗っている。 二代目岩村城主は松平乗寿までは大給松平家宗家。 それから丹羽 …
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岩村城主遠山景任、おつやの方を正室に娶り(めとり)二人の間には姫がいた。
一般的には遠山景任とおつやの方の間に子はいないと知られている。 が・・・まさか?と思われるが実は姫がいた! それも美形の姫がいた、その姫は淵に身を投げた。 戦国時代の女性は …
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岩村城下町の歴史は、信長の家臣の川尻鎭吉によって岩村城を中心に武家屋敷と東西に本通りが造った。
岩村町の東には八幡神社に加藤景廉が・西の武並神社には遠山景朝が神として祀られている。 岩村の町は、下の図のように東西に伸びています。東へ行けば上村町(現・上矢作から信州)西へ行けば大井( …
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天下統一を狙った織田信長が武田信玄と勢力図拡大図るためおつやの方を利用した
戦国時代の陣取り合戦、真っ只中にいた信長の叔母「おつやの方」の戦いは? 1572年10月、武田信玄が西上作戦を開始すると、秋山虎繁(秋山信友)と山県昌景は別働隊として …
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岩村町の夏祭りは、後鳥羽上皇と北条義時が起こした「承久の乱」の若い公家の悲しい物語。
岩村の夏祭りには、こんな悲しい物語があったことすら、いまの地元の人は無頓着で歴史を知らない、悲しいことです。 歴史のある岩村町は最後の城主松平乗命は明治2年(1869年)版籍奉還により岩 …
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岩村城の女城主「おつやの方」絶世の美女の悲劇的な生涯、織田信長と武田信玄に翻弄される。
2018/07/11 -未分類
おつやの方とは?織田信長の祖父の子で叔母である、お市の方も叔母にあたる。 淀君・妹に初(京極高次の正室)と江(徳川秀忠の正室)とも血縁関係がある、おつやの方という人物が遠山氏最後の城主の正室であった。 …