美濃国岩村城の歴史と関連武将たち

美濃国岩村城の生い立ちから戦国時代をかけて来た、織田信長の叔母である「おつやの方」女城主、徳川時代の平和時代から明治維新まで歴史のあれこれ。

源仲章らは朝廷との二重スパイか?系図を見ると実朝と繋がった

2022/11/29   -源仲章

 実朝に勉強を教えている源仲章ってどいう人物なんでしょう? 後鳥羽上皇に仕え、京から来た第59代・宇多天皇の子、第八皇子敦実親王の三男 雅信王こと源雅信の子孫です。     元を正 …

北条義時の死後起きた伊賀氏の変は伊賀一族と三浦義村の陰謀かそれとも

2022/11/25   -伊賀氏の変

 なんとも胡散臭い人物が、義時の継室・伊賀の方と三浦義村である。 真意の程は遠い昔話なのでわかりませんが、色々の書物などにより書いていこうと思います。     義時の死後に起きた事 …

北条義時の死因は!暗殺か?享年62歳で急死 した

2022/11/22   -北条泰時

北条義時が元仁元年(1224年)6月13日に62歳の生涯を閉じた。『吾妻鏡』によると‥     【原文】前奥州病痾已及獲麟之間。以駿河守爲使。被申此由於若君御方。就恩許。今日寅尅。 …

徳川家康・織田信雄と秀吉の小牧・長久手の戦いは天下統一をかけた戦い

 小牧・長久手の戦いは、天正12年(1584年)に羽柴秀吉と織田信雄・徳川家康の間で行われた全国規模の戦役です。   この戦いは、信長の後継者争いや天下統一の行方を左右する重要な局面であり、 …

家康が将軍職を秀忠に譲って駿府城をなぜ最後の棲家にしたのか?

2022/11/17   -徳川家康

 慶長10年(1605年)4月16日に家康は、側室・お愛の方との間に生まれた三男・秀忠に将軍職を譲り駿府に引っ込んでしまった?     せっかく天下統一を果たした家康なのに最後まで …

山城サミット恵那開催地のうち岩村城の第一門から本丸までイラスト紹介

2022/11/15   -未分類

 10月22日・23日に第29回全国山城サミット恵那大会が行われました。     22日は恵那市文化センターで行われました。 なぜ、文化センターでやったのかわかりませんが、恵那市大 …

信長の叔母おつやの方が武田の秋山虎繁と4度目の結婚した時の年齢は

2022/11/08   -未分類

 時期は不明だが、信長は叔母・おつやの方を岩村城主・遠山景任の元に嫁がせた、3度目の政略結婚で縁戚関係を結ぶなど、複数の勢力に属する関係を築いていた。     一方武田信玄は、弘治 …

豊田市にある奥殿陣屋の歴史は第6代大給松平宗家の実弟・松平真次が始祖

2022/11/04   -未分類

 豊田市の松平東照宮に行くと、下記のパンフレットが貰えます。    ▲貰ったパンフレットの表紙です。     パンフレットを見ると東照宮の横に奥殿陣屋がありますが、横と言っても最短 …

家康の先祖・始祖の松平親氏と清和源氏がどう結びつくか?

2022/11/03   -松平の始祖

 豊田市松平町赤原13の松平東照宮に行くと立派な建物があります。 そこには、徳川家康と松平氏の始祖・松平親氏を祀る神社「松平東照宮」があります。           ▲松平東照宮    ▲家康が産湯を …

武田・徳川の戦いは熾烈な攻防線を繰り広げ2度の『高天神城の戦い』

2022/10/31   -高天神の戦い

 高天神城は現・静岡県掛川市から南へ連なる山地に山城が存在していました。     『高天神城を制する者は遠州を制する』といわれたほど重要な城で、武田氏と徳川氏の争奪戦となった舞台で …

東美濃の岩村城の歴史(いまから800年余に鎌倉時代に築城された山城、日本三大山城の一つ、他に岡山の備中『松山城」奈良県の「高取城」があります)について書いています。のちに世間に有名な人物は林述斎・佐藤一齋等を輩出した岩村藩は江戸時代になって松平乗紀(のりただ)が城下に藩学としては全国で3番目にあたる学舎を興し、知新館の前身である文武所とた。気楽に読んで頂ければ嬉しいです。