美濃国岩村城の歴史と関連武将たち

美濃国岩村城の生い立ちから戦国時代をかけて来た、織田信長の叔母である「おつやの方」女城主、徳川時代の平和時代から明治維新まで歴史のあれこれ。

関連記事

臨済宗妙心寺高層和尚・希庵和尚を襲撃した祟りで武田信玄の天下取りは幻に終わった

武田信玄があの時死ななかったら、天下を取っていただろうか?と記者は自問自答した。   嫌がる希庵和尚を無理やり自分の菩提寺の僧侶にしようと思ったことが運の尽き、希庵は頑として断ったため信玄は …

奥州合戦の原因から背景、結果、その後までを分かりやすく解説!

 義経は奥州平泉に逃れ、頼朝軍と戦ったというぐらいことは知っています。   後白河法皇の考えで損を食った義経だが、義経にも人徳がなかったこと、逆に朝敵となって頼朝に追われ、奥州平泉に逃れ藤原 …

岩村町観光ガイド見どころを大正時代の古地図をべースに紹介!

   現在ある岩村城下町は、戦国時代に織田信長の叔母である「おつやの方」と武田信玄の家臣「秋山信虎」の夫婦と戦った信長の家臣・川尻慎吉が岩村城主になった時、天正時代に富田地区にあった城下町を現在の位置 …

藤原宣孝と紫式部の歳の差婚:親子ほどの年の差は幸運だったのか

藤原宣孝は、親戚筋の官僚で父の同僚だけど幾度となく紫式部に求婚の手紙を書いていたらしいが、その度に拒否の歌を返している。     宣孝は紫式部より20歳ほども上で、何人もの女性と結 …

遠山氏は美濃東部の岩村城に本拠地を置き菩提寺大圓寺に希庵和尚を迎える

  建武2年(1335年)に岩村城主の遠山三郎が、遠山一族の総力を結集して菩提寺の大圓寺を建立した。 大圓寺は、建武2年(1335年)から戦国時代の末期の元亀3年(1572年)まで美濃国恵那 …

東美濃の岩村城の歴史(いまから800年余に鎌倉時代に築城された山城、日本三大山城の一つ、他に岡山の備中『松山城」奈良県の「高取城」があります)について書いています。のちに世間に有名な人物は林述斎・佐藤一齋等を輩出した岩村藩は江戸時代になって松平乗紀(のりただ)が城下に藩学としては全国で3番目にあたる学舎を興し、知新館の前身である文武所とた。気楽に読んで頂ければ嬉しいです。