美濃国岩村城の歴史と関連武将たち

美濃国岩村城の生い立ちから戦国時代をかけて来た、織田信長の叔母である「おつやの方」女城主、徳川時代の平和時代から明治維新まで歴史のあれこれ。

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岩村城の歴史は古く鎌倉時代に築城され大政奉還まで権威を保った城主たち

 岩村城といってもどういう経緯で、この東美濃の岩村に城が築かれたか? 又どんなお殿様がいたのか? 知りたくないですか?     標高717mの城山を選んで城を築いた加藤景廉公、遠山 …

先祖が乞食坊主の徳阿弥だったのに家康はなぜ征夷大将軍になれたのか?

   司馬遼太郎の「歴史の中の邂逅」に「上州徳川郷」という話があります。     つまり徳川の祖は大久保彦左衛門の書「三河物語」に書かれたように「中有ノ衆生ノゴトク」全国を歩いてい …

和田合戦はなぜ起きたか?甥の胤長の処罰で義時に挑発された

 和田義盛は久安3年(1147年)生まれ、三浦義村は仁安3年(1168年)歳の差19歳あるけど三浦一族で従兄弟の二人。     義村の父・三浦義澄は13人のメンバー、和田義盛もメン …

飯高観音は恵那市にあり平安時代に修験道の寺として開基されてた厄払い寺

恵那の岩邑小学校の頃遠足というと「飯高山詣で」でした。 いま思うと近いとこだな〜車ならすぐです。   飯高山は岩村町と山岡町の接する住所で馬場山田というぐらいだから岩村城の馬に関係してた所じ …

家康は上杉征伐の途中小山評定で各大名に東軍か西軍どちらに着くかを確かめた

   徳川家康は7月24日、上杉景勝を討伐するために会津に向かっていた途上、下野国小山に本陣を置いた。     その時、石田三成挙兵の報せが入り、翌25日、急遽 家康は本陣に諸将を …

東美濃の岩村城の歴史(いまから800年余に鎌倉時代に築城された山城、日本三大山城の一つ、他に岡山の備中『松山城」奈良県の「高取城」があります)について書いています。のちに世間に有名な人物は林述斎・佐藤一齋等を輩出した岩村藩は江戸時代になって松平乗紀(のりただ)が城下に藩学としては全国で3番目にあたる学舎を興し、知新館の前身である文武所とた。気楽に読んで頂ければ嬉しいです。