美濃国岩村城の歴史と関連武将たち

美濃国岩村城の生い立ちから戦国時代をかけて来た、織田信長の叔母である「おつやの方」女城主、徳川時代の平和時代から明治維新まで歴史のあれこれ。

関連記事

名刀「古今伝授の太刀」地蔵行平を細川幽斎が公卿烏丸光広に送った訳とは

細川家伝来の名刀・「古今伝授の太刀」とは? 鎌倉時代に活躍した豊後国の刀工、行平の作。     この刀は、細身で反りが高く、小峰の刀身は平安時代から鎌倉時代初期の太刀の特徴である。 …

短かった岩村城主・田丸直昌ー秀吉の恩義を貫いた男の中の男、本物の武士。

田丸直昌って城主って? 岩村城主の在職は短く八ヶ月、どいう武将っだったか?   田丸氏は、伊勢国の国司で北畠の庶流で、5代北畠政郷の4男・顕晴が度会郡田丸城に入り田丸氏を名乗ったことに始まる …

承久の乱で頭角を現した美濃国・岩村城主・遠山景朝と朝敵・一条宰相信能

   遠山景朝は父・加藤景廉の働きで頼朝公より岐阜県恵那郡の遠山荘の地頭を賜ったが、自身は頼朝の意向によって鎌倉に留まって頼朝を助けた。 ▲頼朝が加藤景廉に長刀を渡して、この刀で山木兼隆の首を取ってこ …

徳川家康は何故高低差のある地形を利用して名古屋城を築いたのか

 御三家筆頭の尾張徳川家の居城として、慶長15年(1610年)に加藤清正・福島正則など豊臣恩顧※1の西国大名20家に命じ、天下普請として名古屋城の築城を開始し、豊臣方の包囲網と東海道の防衛を固めるとと …

徳川将軍12代〜14代の時代に岩村城下のお寺・浄光寺から大奥の老女・桃光院が誕生した

 岩村の浄光寺は岐阜県恵那市岩村町にあります。 城下町は上(東)から本町1丁目・2丁目・3丁目・4丁目・5丁目・西町1、2・新町・領家となります。   浄光寺は領家(岩村駅)から歩約20分の …

東美濃の岩村城の歴史(いまから800年余に鎌倉時代に築城された山城、日本三大山城の一つ、他に岡山の備中『松山城」奈良県の「高取城」があります)について書いています。のちに世間に有名な人物は林述斎・佐藤一齋等を輩出した岩村藩は江戸時代になって松平乗紀(のりただ)が城下に藩学としては全国で3番目にあたる学舎を興し、知新館の前身である文武所とた。気楽に読んで頂ければ嬉しいです。