美濃国岩村城の歴史と関連武将たち

美濃国岩村城の生い立ちから戦国時代をかけて来た、織田信長の叔母である「おつやの方」女城主、徳川時代の平和時代から明治維新まで歴史のあれこれ。

関連記事

桶狭間の戦いの当日松平元康は大高城にいたーそして信長軍から逃げた

   戦国時代も半ばを過ぎた頃、駿河の守護大名今川義元(42歳)と尾張のうつけ織田信長(27歳)が桶狭間で衝突、その時、松平元康(17歳)は今川の先鋒で大高城へ兵糧の役目を仰つけられていた。 &nbs …

岩村城主遠山景任、おつやの方を正室に娶り(めとり)二人の間には姫がいた。

一般的には遠山景任とおつやの方の間に子はいないと知られている。 が・・・まさか?と思われるが実は姫がいた! それも美形の姫がいた、その姫は淵に身を投げた。     戦国時代の女性は …

家臣団に嫌われるも徳川家康と本多正信との関係は良好だったは何故か?

 本多正信は通称を弥八郎と呼ばれていた。 正信の父は本多俊正で、もともと松平家の重臣・酒井忠尚の下で働いていた、忠尚が謀反を起こしたために、共に家康と戦うこともあったが、永禄7年(1564年)9月に俊 …

三浦義村と北条義時と八重姫は伊東祐親の系図から来てる

   大河ドラマで「鎌倉殿の13人」を観てると、三浦義村役の山本耕史さんと北条義時と八重姫が仲がいいので、どうしてだろうと思ってたら年の差が無いのと従兄弟と叔母の関係だった。   &nbsp …

徳川家康と石川数正の関係はなんだったのか?ーなぜ裏切って出奔したのか?

 家康を支え、忠臣だった石川数正が、天正13年(1585年)突如出奔して秀吉の配下になった。 一体全体数正に何があったのか?     家康を、幼少の頃より仕え、今川氏の人質になった …

東美濃の岩村城の歴史(いまから800年余に鎌倉時代に築城された山城、日本三大山城の一つ、他に岡山の備中『松山城」奈良県の「高取城」があります)について書いています。のちに世間に有名な人物は林述斎・佐藤一齋等を輩出した岩村藩は江戸時代になって松平乗紀(のりただ)が城下に藩学としては全国で3番目にあたる学舎を興し、知新館の前身である文武所とた。気楽に読んで頂ければ嬉しいです。