美濃国岩村城の歴史と関連武将たち

美濃国岩村城の生い立ちから戦国時代をかけて来た、織田信長の叔母である「おつやの方」女城主、徳川時代の平和時代から明治維新まで歴史のあれこれ。

遠山十八城

岩村城は加藤景廉の嫡男・遠山景朝が築き遠山十八支城になる

投稿日:2022年4月29日 更新日:

   岩村城は誰が築いたか?

地の利もよく東へ行けば信州へ行けば三河西へ行けば尾張と交通の要でした。

▲岩村遠山氏を中心に信州・尾張・三河を分かりやすくしました。

 

岩村遠山氏は戦国時代まで続き、遠山氏最後の城主・遠山景任の妻が織田信長の叔母・おつやの方(女城主)で、武田軍と戦い開城して城を明け渡した。

 

 

遠山景任に跡継がなかったので、養嗣子で信長の五男とも四男の御坊丸迎えたが、まだ幼かったため、城の采配は織田信長の叔母・景任夫人が握った。

 

 

そのため女城主といわれた。
元亀3年(1572)、武田信玄の武将・秋山信友と戦った。

 

 

秋山信友は難攻不落の岩村城を攻撃するも、なかなか陥落しそうもないため、秋山信友は”和睦に応ずれば、あなたを妻とし、御坊丸を養子として家督を譲る”と和議をもちかけた。

 

 

おつやの方はこの提案を承諾した。
しかし、御坊丸は甲斐に送られ、信玄の人質となった。

 

 

この時点で遠山氏は約380年か390年間、続いた岩村遠山氏は断絶した。

 

 

その後、9年間武田家の人質となっていたが、天正9年(1591)に安土に送還され、その後、犬山城主となるも、本能寺の変で討ち死にする。

 

 

その後岩村城主が、武田・織田・豊臣と変わり関ヶ原の戦い後は徳川になり岩村藩になりました。

 

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遠山景朝の子が苗木城・明知城支城を築いて行く

加藤景廉は源頼朝の重臣として功績を残し、文治元年(1185年)遠山荘(現・岐阜県恵那市・中津川市・瑞浪市の一部)を与えられた。

 

 

ただし、加藤景廉本人は頼朝の側近のため鎌倉におり、守護・地頭を嫡男・加藤景朝に任し築城も景朝が築いた。

※上記の加藤景廉をクリックしてもらうと記事があります。興味ある方は読んでください。

 

承久の乱が始まって程なく加藤景廉は死去し、遠山荘の地頭・守護職は加藤景朝が受け継いだ。

 

 

その後、景朝は遠山荘にちなんで加藤姓を遠山姓にして、遠山景朝と改名して初代・岩村城主となった。

 

 

遠山景朝の名が最初に認められるのは、承久3年(1221年7月25日)承久の乱の首謀者の一人である一条信能を遠山荘の岩村相原で処刑した時である。

※上記の一条信能をクリックしてもらうと承久の乱の記事があります。また、祀ってある巌邨神社も案内してあります。

この乱で美濃守護の大内惟信(後鳥羽上皇派だった)が没落すると美濃国は北条氏の管轄下となり、恵那郡の遠山氏、土岐郡の土岐氏らは北条氏の傘下となった。

 

 

遠山景朝父・景廉を祀る八幡神社を創建する

承久年間に遠山景朝が岩村城の敷地内に八幡神社を創建し、父・景廉を誉田別命及び配神として祀った

 

 

誉田別命(ほんだわけのみこと)とは、応神天皇や八幡神の名で知られています。

 

戦前までは武神として崇められいますたが、戦後からは平和観念が浸透していくなかで、教育や縁結びなど日常生活に根ざした諸願成就の神様へと変身していきます。

 

八幡さまを祀る神社は全国に約4万程あります。現在場内にあった八幡神社は岩村町上町に移されています。

 

息子の遠山景朝は徳川時代になって大給松平氏の岩村城主2代・松平乗寿が西に武並神社を建立して景朝を祀った。

 

 

10月の秋祭りで親子対面の古式様式で街の中を練り歩く行列があります。

 

 

景朝弟・加藤景義と争う

嘉禎元年(1235年)父の遺領の伊豆国狩野荘牧之郷の地頭職を弟・景義と争い鎌倉幕府の評定衆の評議により勝訴した。

▲没後800年節目に武将・加藤景廉公をしのぶ、牧の郷の人達

 

 

 

遠山六郎景員が岩村遠山氏を継ぐ

仁治2年(1241年)遠山景朝の長男・遠山景村が遠山荘の木曽川以北の所領をを統治するために、木曽川南岸の西山戸から北岸の那木に進出(後の苗木城築城へと繋がる)

 

 

三男の遠山六郎景員が岩村遠山氏を継ぐことになった。

 

 

次男・遠山景重は、宝治5年(1247年)に明知城を築城、初代城主になる。

 

長男・遠山景村は広恵寺城※1を築城、後、弟・景員が苗木城を築城し初代城主になったという。
しかし、景員は岩村遠山氏を継いでいる。

 

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※1.広恵寺城とは

遠山景村が那木に砦を築き、後に岩村遠山氏の遠山景員が砦を苗木城として築城して初代城主になった。

 

 

兄・遠山景村は広恵寺城を砦を築き、その一族である遠山景利は元弘・建武年間(1334年〜1336年)に現在の広恵寺城を築いた。

 

 

立地は飛騨街道と裏木曽街道の要地福岡の東の山地の一角に城ヶ根山がある。

 

 

この地は飛騨口、木曽口、美濃口にあたり、交通の要衛であり、信濃勢の侵攻を受けた地域である。

 

 

城ヶ根山は植苗木の台地の東の聳える岩山で要害で、西側尾根下登路がある。

 

 

『高森根元』などでは、元弘・建武(1331年〜1336年)頃、広恵寺城には遠山一雲入道、加藤左衛門景長父子がいて、苗木高森山へ天文年間遠山直景の時に城を移したといい、『苗木記』や『美濃回御阪越記』では、元弘・建武年間頃に景長が築いたという。

 

 

景長の父・一雲入道は高森城(苗木城)を築き、その死後に長男・景長が広恵寺城のある植苗木の地名に、ちなんで高森城を苗木城と改めて移り、広恵寺城へ家臣を入れて守らせたという。

 

 

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まとめ

遠山景朝が初代岩村城主となって、子に遠山景村・遠山景重・遠山景員いて、それぞれが苗木城・明知城・飯羽間城を築いていった。

 

その後、支城を築いて、遠山十八城と言われた。
続けて書いてきますので、よろしくお願いします。

 

 

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