美濃国岩村城の歴史と関連武将たち

美濃国岩村城の生い立ちから戦国時代をかけて来た、織田信長の叔母である「おつやの方」女城主、徳川時代の平和時代から明治維新まで歴史のあれこれ。

関連記事

江戸城を築城した太田道灌はなぜ?主君に殺されたか悲運の武将

 戦国一の智将とも称される太田道灌。 彼の功績は、同時代を生きた他の誰とも比べられないほど輝かしいものでしたが、彼の聡明すぎる頭脳と自己顕示欲は、自身の破滅を招いたひとつの要因だったと言えるでしょう。 …

「山崎の合戦に遅参した羽柴秀吉」衝撃の新事実に歴史ファン激震

柴秀吉が、織田信長を討った明智光秀を倒した「山崎の合戦」が天正10年(1582年6月13日)において、秀吉の動きがこれまでの定説よりも「遅延していた」可能性を示す書状が見つかったと新聞発表されました。 …

細川ガラシャと細川忠興との間の6人の子供たち

細川ガラシャは(結婚前は明智珠または玉:たままたはたまこと言ってました)で 父親が明智光秀だということは、ひろく知られています。                     ▲細川忠興と細川ガラ …

岩村城下町の旧家・木村邸で銀河鉄道の父の映画撮影をやっていました

 岩村城下町の木村邸で2022年5・6月頃から撮影をしていました。 なんの撮影かな〜と思って聞いたけど近所の人も知らなかったけど段々分かってきた。              ▲枡形地形の所にありました …

家臣団に嫌われるも徳川家康と本多正信との関係は良好だったは何故か?

 本多正信は通称を弥八郎と呼ばれていた。 正信の父は本多俊正で、もともと松平家の重臣・酒井忠尚の下で働いていた、忠尚が謀反を起こしたために、共に家康と戦うこともあったが、永禄7年(1564年)9月に俊 …

東美濃の岩村城の歴史(いまから800年余に鎌倉時代に築城された山城、日本三大山城の一つ、他に岡山の備中『松山城」奈良県の「高取城」があります)について書いています。のちに世間に有名な人物は林述斎・佐藤一齋等を輩出した岩村藩は江戸時代になって松平乗紀(のりただ)が城下に藩学としては全国で3番目にあたる学舎を興し、知新館の前身である文武所とた。気楽に読んで頂ければ嬉しいです。