美濃国岩村城の歴史と関連武将たち
美濃国岩村城の生い立ちから戦国時代をかけて来た、織田信長の叔母である「おつやの方」女城主、徳川時代の平和時代から明治維新まで歴史のあれこれ。
投稿日:2023年6月6日
-
執筆者:rikutarou
関連記事
渋沢栄一の家系図ー武闘討幕派から平岡円四郎との出会いで武士になる
渋沢栄一の最初の配偶者は従姉妹の千代(1858年〜1882年=24年間)との結婚生活、後妻は兼子(1882年〜1934年=52年間)と結婚。 渋沢家の家系図を見てください。 この名前を知っている …
北条義時の死後起きた伊賀氏の変は伊賀一族と三浦義村の陰謀かそれとも
なんとも胡散臭い人物が、義時の継室・伊賀の方と三浦義村である。 真意の程は遠い昔話なのでわかりませんが、色々の書物などにより書いていこうと思います。 義時の死後に起きた事 …
北条時政・義時親子の執権政治はいつ頃から野望を持ったか
初代・鎌倉幕府の将軍・源頼朝が亡くなった後、御家人の中で権力に執着を持ったのが北条時政。 この北条時政と源頼朝の繋がりといえば、まだ、鎌倉幕府ができる前の話、過去にさかのぼり説明し …
家康は上杉征伐の途中小山評定で各大名に東軍か西軍どちらに着くかを確かめた
徳川家康は7月24日、上杉景勝を討伐するために会津に向かっていた途上、下野国小山に本陣を置いた。 その時、石田三成挙兵の報せが入り、翌25日、急遽 家康は本陣に諸将を …
明智城を訪ねてー落城後牢人になった光秀はどこでどうしたか
NHKで『麒麟がくる』という番組がありました。 明智光秀が足利義昭の家来になるまで、また信長に仕えるまでの経歴を調べてみたいと思います。 先ず、光秀の子於隺丸 …
2024/07/27
南北朝期に足利尊氏が開いた室町幕府だが守護大名の統制に四苦八苦
2024/07/19
鎌倉幕府の滅亡と南北朝そして室町幕府の始まり
2024/06/22
伊達騒動の真相は3代城主・伊達綱宗の放蕩から4代城主・伊達綱村の隠居で終わる
2024/06/15
黒田騒動のお家騒動は家老・栗山大膳や重臣等が幕府に訴えた事件
2024/05/28
前田利家の金沢城加賀騒動をわかりやすく説明
このサイトについて
東美濃の岩村城の歴史(いまから800年余に鎌倉時代に築城された山城、日本三大山城の一つ、他に岡山の備中『松山城」奈良県の「高取城」があります)について書いています。のちに世間に有名な人物は林述斎・佐藤一齋等を輩出した岩村藩は江戸時代になって松平乗紀(のりただ)が城下に藩学としては全国で3番目にあたる学舎を興し、知新館の前身である文武所とた。気楽に読んで頂ければ嬉しいです。
日本の歴史
カテゴリー
広告
検索
にほんブログ村