美濃国岩村城の歴史と関連武将たち
美濃国岩村城の生い立ちから戦国時代をかけて来た、織田信長の叔母である「おつやの方」女城主、徳川時代の平和時代から明治維新まで歴史のあれこれ。
投稿日:2023年1月7日
-
執筆者:rikutarou
関連記事
岩村城の女城主の里の山上家は!島崎藤村の祖父の家と東濃最古の旧家
岩村の旧家・山上家は東濃地方・最古といわれる旧家といわれています。 東濃地方というと、岐阜県南部にある「美濃」の東側です。 岐阜県の中津川市、恵那市、瑞浪市、土岐市、多治 …
恵那市にある老舗旅館「いち川」は中山道大井宿で3代の女将がおもてなし宿
恵那市といってわかる人はわかりますが、わからない人にはわからない地名です。 岐阜県恵那市です。 中央線の中津川市の手前です。 メジャーな土地柄 …
中津川市の阿木城は岩村城を守る遠山十八城の一つであった
阿木城跡ってどこにあるんですか?という質問がよくあるんですが、 阿木字大門前(見沢地区)にあります。 阿木八幡神社裏の小高い山が阿木城跡です。 登り口は恵那ディーゼル横の …
松平信康の切腹はなぜ起きたかの真相を詳しく追求ーその後子供や五徳は?
松平元康(家康)が今川義元の人質生活のとき、義元の姪の瀬名姫と結婚して、長男・長女を授かった。 その長男が、竹千代(信康)は、永禄2年(1559年)3月6日、松平家康の長 …
うつけと呼ばれていた信長が天下を狙う知能と運の良さを発揮する
よく映画やドラマを観てると信長は、「うつけ」と言うことが報じられています。 では、「うつけ」とは、どいうことを言うのでしょうか? 信長の生い立ち、幼名は吉法師 織田信長とは、天文3年(1 …
2024/04/28
紫式部と親交のあった女流歌人・赤染衛門ー藤原道長の正妻・源倫子と彰子に仕えた女房
2024/04/27
紫式部と藤原道長の出会いは架空の恋か歴史の真実の恋か
2024/04/20
藤原為時が道長に越前国府に任命され同行紫式部は一足早く京へ戻った理由
2024/04/06
須磨から光源氏は明石へ!明石の君との 出会いと別れ
2024/03/31
『源氏物語』光源氏は政敵の妹・朧月夜と関係を持ってなぜ須磨の地へ
このサイトについて
東美濃の岩村城の歴史(いまから800年余に鎌倉時代に築城された山城、日本三大山城の一つ、他に岡山の備中『松山城」奈良県の「高取城」があります)について書いています。のちに世間に有名な人物は林述斎・佐藤一齋等を輩出した岩村藩は江戸時代になって松平乗紀(のりただ)が城下に藩学としては全国で3番目にあたる学舎を興し、知新館の前身である文武所とた。気楽に読んで頂ければ嬉しいです。
日本の歴史
カテゴリー
広告
検索
にほんブログ村