美濃国岩村城の歴史と関連武将たち
美濃国岩村城の生い立ちから戦国時代をかけて来た、織田信長の叔母である「おつやの方」女城主、徳川時代の平和時代から明治維新まで歴史のあれこれ。
投稿日:2026年8月22日
-
執筆者:rikutarou
関連記事
北条義時の家系図と八重姫の家系図を見るー江間小四郎の活躍
鎌倉幕府のことは知っているけど、どうして鎌倉幕府が出来たのか? ハッキリといって知らない。 我が故郷に岩村城があるけど、鎌倉時代に加藤景廉が祖になって、遠山荘の守護・ …
岩村町の女城主の里!古地図をみながら史跡スポットを巡ろうーCの章
Cの章は岩村町の西に位置する新町から領家を案内します。 岩村町は東の八幡さまから西の武並さんと東西に長い城下町(勾配のある)が続きます。 下記の地図を見ていただくと分かる …
滝川一益はなぜ清州会議に遅刻したのか?不参加の理由と哀れなその後
織田信長の重臣であり「織田四天王」※の一人だった滝川一益は、天正10年(1582年)6月27日の清須会議に出席していません。 本能寺の変、直後に関東で北条氏と戦い(神流川の敗戦)、命からがら領国へ逃げ …
織田政権の出世頭はやはり『豊臣橋』だった?秀吉と秀長の知行高を徹底検証
織田政権の中で、最も急激にかつ異例の出世を遂げたのは「豊臣兄弟」です。 これは、知行高の推移を見ればほぼ間違いないでしょう。 ただし重要なのは、最初から秀吉は重臣だったのではなく、兄弟セットで上役には …
家康はなぜ浜松城に移ったのか?ーその後の浜松城主たちの出世は
家康は「桶狭間の戦い」は、人質生活から解放されるキッカケとなったが、苦難の道が待ち構えていた。 大高城を離れて大樹寺、岡崎城に戻り、そして今川氏と決別した。 永禄11年( …
2026/09/22
【豊臣兄弟】寧々と秀長の信頼関係とは?秀吉を支えた絆のエピソー
2026/09/21
朝倉義景の最期とは?賢松寺での自決と裏切った朝倉景鏡の末路
2026/09/19
豊臣秀次の悲劇!秀吉に翻弄された生涯と切腹事件の真相に迫る
2026/09/17
【豊臣兄弟】安藤直次とは何者?池田元助を討った戦功と生涯
2026/09/16
小早川秀秋と家康の鉄砲は虚構?関ヶ原で裏切り者とされた真相
このサイトについて
東美濃の岩村城の歴史(いまから800年余に鎌倉時代に築城された山城、日本三大山城の一つ、他に岡山の備中『松山城」奈良県の「高取城」があります)について書いています。のちに世間に有名な人物は林述斎・佐藤一齋等を輩出した岩村藩は江戸時代になって松平乗紀(のりただ)が城下に藩学としては全国で3番目にあたる学舎を興し、知新館の前身である文武所とた。気楽に読んで頂ければ嬉しいです。
日本の歴史
カテゴリー
広告
検索
にほんブログ村