美濃国岩村城の歴史と関連武将たち

美濃国岩村城の生い立ちから戦国時代をかけて来た、織田信長の叔母である「おつやの方」女城主、徳川時代の平和時代から明治維新まで歴史のあれこれ。

関連記事

家康の遺産は久能山に埋蔵金として「久能山御蔵金銀受取帳」に記されいる

   徳川家康は天文11年(1542年)岡在城にて、松平広忠と母・於大の方の間に誕生、慶長10年(1606年)将軍職を3男・秀忠に譲り駿府城に戻り、大御所として65歳〜74歳まで権力を振るったが、74 …

家康の松平氏の家系図の中で大給松平家はどういう位置付けだったか

 松平家といっても、家康の先祖、初代・松平親氏系統の松平家の他いっぱい松平家があります。 大給家は、松平家の庶流で、第四代・松平親忠の次男の松平乗元を祖とする一族で、家康は三男の松平長親(第五代)の系 …

岩村町観光ガイド見どころを大正時代の古地図をべースに紹介!

   現在ある岩村城下町は、戦国時代に織田信長の叔母である「おつやの方」と武田信玄の家臣「秋山信虎」の夫婦と戦った信長の家臣・川尻慎吉が岩村城主になった時、天正時代に富田地区にあった城下町を現在の位置 …

徳川家康は徳川家臣団の「三備」体制を作って軍事力を支え組織固めをした

 家康率いる三河武士は何で強いのか? ドラマで見る限りでも、もたもたの格好をした三河武士たちだけど結構強い、事実強かったらしい。     なぜ三河武士は強かったのか? 家康が今川義 …

渋沢栄一パリ帰還後徳川慶喜に会いに行って静岡藩に勤務を命じる

 将軍・慶喜にパリ万博を進められ、将軍の弟・徳川昭武の随員として渋沢栄一(当時は篤太夫)がパリ万博へ、幾人もの王・銀行家・貴族らの西洋人との接点を得てきて学んできた。     日本 …

東美濃の岩村城の歴史(いまから800年余に鎌倉時代に築城された山城、日本三大山城の一つ、他に岡山の備中『松山城」奈良県の「高取城」があります)について書いています。のちに世間に有名な人物は林述斎・佐藤一齋等を輩出した岩村藩は江戸時代になって松平乗紀(のりただ)が城下に藩学としては全国で3番目にあたる学舎を興し、知新館の前身である文武所とた。気楽に読んで頂ければ嬉しいです。