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岩村城下町は寺院多いが二代藩主・丹羽氏定が建立した七面山・妙法寺
2021/09/10 -未分類
岩村城は敵が攻めて来た時、霧ヶ井戸に城内秘蔵の蛇骨を投じるとたちまち山全体が霧に包まれて城を守ったという。 蛇骨は二の丸の宝蔵に収蔵されており虫干しをした記録が残されている。 そのため別名・霧ヶ城 …
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岩村町の観光スポット石室千体佛の由来と賑わっていた頃の貴重な写真
2021/09/06 -未分類
岩村の千体佛の行事なんて幼き頃だから、何時やったか覚えがない? ましてや、どいうお祭りか訳もわからず餓鬼連中と出かけた記憶だけあります。 当時は石室千体佛のことを「石のカルト」と呼んでいたような気がす …
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家康の「家」を与えられた若きプリンス大給松平家の初代岩村藩主・松平家乗
2021/08/27 -未分類
徳川家では初代である「家康」の「家」の字は将軍職を継いで行く者につけた。 徳川宗家(将軍家)の後継者のみ許された「家」の字です。 後継者でも「家」の字を使ってない徳川将軍がいます。 それ …
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2021/08/24 -未分類
観光客の多くの皆様は商家の城下町の方を歩いていますが、岩村の町はお城ができて約830年の歴史がある町です。 そのため岩村川を挟んで侍屋敷も幾多の地区にあったし、城山の麓に …
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美濃國大圓寺妙心寺の歴史〜武田信玄元亀3年に高僧希菴玄密の暗殺
岐阜県恵那郡岩村町の大圓寺(現・恵那市)は臨済宗妙心寺の大寺でした。 建武年間(1334年〜1335年)に遠山氏一族の菩提寺として岩村城の麓に創建され、遠山景前の時代に再興された。 ●以前の城下町は …
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渋沢栄一パリ帰還後徳川慶喜に会いに行って静岡藩に勤務を命じる
2021/08/03 -渋沢栄一
将軍・慶喜にパリ万博を進められ、将軍の弟・徳川昭武の随員として渋沢栄一(当時は篤太夫)がパリ万博へ、幾人もの王・銀行家・貴族らの西洋人との接点を得てきて学んできた。 日本 …
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遠山金四郎と鳥居耀蔵の南・北奉行所の二人のルーツは同じ美濃国岩村城にあった
映画・ドラマでお馴染みの金さんは北町奉行、一方妖怪こと鳥居耀蔵は南町奉行、そこに老中・水野忠邦の「天保の改革」で贅沢禁止令で有名な話です。 桜吹雪の遠山の金さんは実在 …
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渋沢栄一・尾高惇忠が冨岡製糸場造りに関わっていたー工女尾高ゆうと和田英
2021/07/28 -富岡製糸場
そもそもなんで富岡製糸場が造られるはめになったのか? 江戸時代末期、長い間鎖国をしてきたが、鎖国政策を変えて貿易を始めて日本国を豊かにしたいと思ようになってきてからです。 …
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尾張藩城主・第12代徳川斉荘のお姫様が大給・松平岩村藩に嫁ぐ花嫁行列
名古屋城主・歴代 ①初代城主/徳川義直(徳川家康の9男) ②二代城主/徳川光友(初代義直の長男) ③三代城主/徳川綱誠(二代目の子で6年間の城主で46歳で死去) ④四代城主/徳川吉通(綱 …