美濃国岩村城の歴史と関連武将たち

美濃国岩村城の生い立ちから戦国時代をかけて来た、織田信長の叔母である「おつやの方」女城主、徳川時代の平和時代から明治維新まで歴史のあれこれ。


comment

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

関連記事

松平信康の切腹はなぜ起きたかの真相を詳しく追求ーその後子供や五徳は?

 松平元康(家康)が今川義元の人質生活のとき、義元の姪の瀬名姫と結婚して、長男・長女を授かった。     その長男が、竹千代(信康)は、永禄2年(1559年)3月6日、松平家康の長 …

『高天神城を制する者は遠州を制す』—家康と勝頼、命運を分けた二度の戦い

 高天神城は現・静岡県掛川市から南へ連なる山地に山城が存在していました。     『高天神城を制する者は遠州を制する』といわれたほど重要な城で、武田氏と徳川氏の争奪戦となった舞台で …

ガラシャの夫・細川忠興の刀・歌仙兼定は美しくも恐ろしい剣だった

   細川忠興といえば、妻・珠をこよなく愛した武将で知られている。 また、細川幽斎の息子で教養人・茶人として有名で利休七哲の一人に数えられる人物。     義父には、明智光秀、嫁に …

徳川家康と石川数正の関係はなんだったのか?ーなぜ裏切って出奔したのか?

 家康を支え、忠臣だった石川数正が、天正13年(1585年)突如出奔して秀吉の配下になった。 一体全体数正に何があったのか?     家康を、幼少の頃より仕え、今川氏の人質になった …

比叡山延暦寺を焼き打ちにしたのは浅井・朝倉が逃げ込んだだけか?

   姉川の戦いで敗れた浅井・朝倉軍は、その後どうなったか? 一般的に、浅井長政・朝倉義景は「姉川の戦い」で自害したと思っているでしょう。 ところが自害したのは、天正元年(1573年)7月、北近江の城 …

東美濃の岩村城の歴史(いまから800年余に鎌倉時代に築城された山城、日本三大山城の一つ、他に岡山の備中『松山城」奈良県の「高取城」があります)について書いています。のちに世間に有名な人物は林述斎・佐藤一齋等を輩出した岩村藩は江戸時代になって松平乗紀(のりただ)が城下に藩学としては全国で3番目にあたる学舎を興し、知新館の前身である文武所とた。気楽に読んで頂ければ嬉しいです。