美濃国岩村城の歴史と関連武将たち
美濃国岩村城の生い立ちから戦国時代をかけて来た、織田信長の叔母である「おつやの方」女城主、徳川時代の平和時代から明治維新まで歴史のあれこれ。
投稿日:2017年9月17日
-
執筆者:rikutarou
comment コメントをキャンセル
メールアドレスが公開されることはありません。 ※ が付いている欄は必須項目です
コメント ※
名前 ※
メール ※
サイト
Δ
関連記事
岩村城は鎌倉時代に守護職・地頭を任される景廉からー戦国時代・そして徳川時代
【加藤景廉】平安時代末期から鎌倉時代初期の武将。鎌倉幕府の御家人。 藤原利仁の流れを汲む加藤景員の次男。 …
岩村城・藩主邸跡に建つ岩村歴史資料館に珍しい目安箱ー岩村城下町一望
▲岩村城登城口 岩村町のお城は古く文治元年(1185年)に鎌倉時代に加藤景廉が源頼朝から、この遠山の地に守護・地頭を賜ったのが始まりです。 加藤景廉は源頼朝の信頼が厚く鎌倉にいたため、嫡男・加藤 …
武田信玄×織田信長の戦いの場であった美濃国岩村城とは?
こんにちは、隆太郎です。 生まれ生国は美濃国岩村城下町。岩村高校を卒業するまではお城山には無関心でした、ある時期歴史に関心を持ち始めました。 なぜ女城主なんだろ …
美濃国「岩村城」は標高717mの山城で鎌倉時代に築城された日本100名城の一つ
源頼朝の重臣加藤景廉を祖とする嫡男景朝が標高717mに岩村城を築城する。 時は平治の乱※1(1150年)保元の乱※2の頃(1156年)の東濃地方は野武士や盗人が奔放※3に …
信長は難攻不落の東美濃・岩村城を落城して家康に宛てた 黒印状がでてきた
元亀3年(1572年)8月14日、平安時代末期から美濃国東部を支配していた、遠山氏の宗家岩村城主・遠山景任が病死した。 岩村遠山氏は以前は信玄に臣従していたが、織田信 …
2024/05/07
藤原公任は平安時代中期の公卿で歌人として高名な人物
2024/04/28
紫式部と親交のあった女流歌人・赤染衛門ー藤原道長の正妻・源倫子と彰子に仕えた女房
2024/04/27
紫式部と藤原道長の出会いは架空の恋か歴史の真実の恋か
2024/04/20
藤原為時が道長に越前国府に任命され同行紫式部は一足早く京へ戻った理由
2024/04/06
須磨から光源氏は明石へ!明石の君との 出会いと別れ
このサイトについて
東美濃の岩村城の歴史(いまから800年余に鎌倉時代に築城された山城、日本三大山城の一つ、他に岡山の備中『松山城」奈良県の「高取城」があります)について書いています。のちに世間に有名な人物は林述斎・佐藤一齋等を輩出した岩村藩は江戸時代になって松平乗紀(のりただ)が城下に藩学としては全国で3番目にあたる学舎を興し、知新館の前身である文武所とた。気楽に読んで頂ければ嬉しいです。
日本の歴史
カテゴリー
広告
検索
にほんブログ村