美濃国岩村城の歴史と関連武将たち

美濃国岩村城の生い立ちから戦国時代をかけて来た、織田信長の叔母である「おつやの方」女城主、徳川時代の平和時代から明治維新まで歴史のあれこれ。

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岩村城下にある大将陣と大将塚 ー丹羽氏建立の五仏寺建立

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妻木城は光秀の妻・煕子の出身城明智氏の所領でのちに明智煕子になった

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飯高観音の僧が兄が亡くなったため、変身し美濃国明知城の城主になって活躍。

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徳川家康は豊臣家の関係を断ち切るために秀頼・淀殿を滅亡に追い込む

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東美濃の岩村城の歴史(いまから800年余に鎌倉時代に築城された山城、日本三大山城の一つ、他に岡山の備中『松山城」奈良県の「高取城」があります)について書いています。のちに世間に有名な人物は林述斎・佐藤一齋等を輩出した岩村藩は江戸時代になって松平乗紀(のりただ)が城下に藩学としては全国で3番目にあたる学舎を興し、知新館の前身である文武所とた。気楽に読んで頂ければ嬉しいです。