美濃国岩村城の歴史と関連武将たち

美濃国岩村城の生い立ちから戦国時代をかけて来た、織田信長の叔母である「おつやの方」女城主、徳川時代の平和時代から明治維新まで歴史のあれこれ。

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遠山氏の明知城は景朝の次男・遠山景重が築城し末裔に遠山金さん現れる

 いきなり遠山景朝といっても、この人物は何者じゃと思いますよね。 美濃国岩村城の祖は加藤景廉ですが、景廉が頼朝より恵那地方の遠山荘の地頭に捕されたので、景廉に代わり、その岩村に来て住んで城を築いたのが …

名刀「古今伝授の太刀」地蔵行平を細川幽斎が公卿烏丸光広に送った訳とは

細川家伝来の名刀・「古今伝授の太刀」とは? 鎌倉時代に活躍した豊後国の刀工、行平の作。     この刀は、細身で反りが高く、小峰の刀身は平安時代から鎌倉時代初期の太刀の特徴である。 …

岩村の隣り大井宿は中山道46番目の尾張藩の宿場町、本陣跡の観光と甚平坂石仏群。

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和田合戦はなぜ起きたか?甥の胤長の処罰で義時に挑発された

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東美濃の岩村城の歴史(いまから800年余に鎌倉時代に築城された山城、日本三大山城の一つ、他に岡山の備中『松山城」奈良県の「高取城」があります)について書いています。のちに世間に有名な人物は林述斎・佐藤一齋等を輩出した岩村藩は江戸時代になって松平乗紀(のりただ)が城下に藩学としては全国で3番目にあたる学舎を興し、知新館の前身である文武所とた。気楽に読んで頂ければ嬉しいです。