美濃国岩村城の歴史と関連武将たち
美濃国岩村城の生い立ちから戦国時代をかけて来た、織田信長の叔母である「おつやの方」女城主、徳川時代の平和時代から明治維新まで歴史のあれこれ。
投稿日:2019年9月24日
-
執筆者:rikutarou
関連記事
岩村城の藩主邸は家康の天下泰平の願いを込めて造られた
岩村藩になったのは徳川時代からです。 岩村藩は徳川家康の親戚の大給松平の六代目が初代の岩村藩主の殿様・松平家乗がなりました。 ※ここに松平家乗の父母の記事があります。興味ある方は上記の松平家乗をクリ …
三十三観音巡りは岐阜恵那三十三霊場を「ぶらっと遍路」して御朱印帳をもらおう
岐阜県内には観音さんをお参りするところが、西濃と東濃にあります、それだけ西の大垣城、東の岩村城と言われてることから、お寺さんが多いことだと思います。 恵那三十三霊場に対して …
江戸時代に創設された恵那三十三霊場をぶらっと遍路して心身共にリフレッシュ、No2
春に行けなかった、残り第1番から第10番と客番2寺を紹介します。 以下、恵那三十三霊場の第1番〜第10番と客番※1。 恵那の恵那三十三霊場を1日で廻るのは、車で走ってお参りをして来るなら廻れるけど …
岩村町の三森山は信仰の山、救いを求めた大圓寺・富田地区の住民たち、恵那山と天照大神。
三森山は町民の信仰の山、岩村城と並んで立っている。 その岩村町三森神社の由来と恵那山の由来。 三森神社のことを地元(現・岩村町富田)の人は、”三森さん“;とこんなふうに呼ん …
飯高観音の僧が兄が亡くなったため、変身し美濃国明知城の城主になって活躍。
加藤景廉の嫡男遠山景朝が最初に岩村城を築城して、明知城・苗木城を築城して恵那地方に幾多の城を築いて治めてた。 岩村城は元治元年(1185年)源 頼朝が全国守護・地頭を置いたとき、重 …
2022/06/25
岩村町の歴史は3万年前の旧石器時代に水晶山下に居住していた
2022/06/20
鎌倉七口切通し道は敵の侵入を防御するために考えられた路
2022/06/17
三浦義村と北条義時と八重姫は伊東祐親の系図から来てる
2022/06/14
鎌倉武士の鏡・畠山重忠!義父・北条時政の策略にはまって一族滅亡する
2022/06/13
刀剣女子に名匠・大原安綱の紹介と名刀“童子切安綱”天下五剣筆頭の一振り
このサイトについて
東美濃の岩村城の歴史(いまから800年余に鎌倉時代に築城された山城、日本三大山城の一つ、他に岡山の備中『松山城」奈良県の「高取城」があります)について書いています。のちに世間に有名な人物は林述斎・佐藤一齋等を輩出した岩村藩は江戸時代になって松平乗紀(のりただ)が城下に藩学としては全国で3番目にあたる学舎を興し、知新館の前身である文武所とた。気楽に読んで頂ければ嬉しいです。
日本の歴史
広告
検索
にほんブログ村