美濃国岩村城の歴史と関連武将たち

美濃国岩村城の生い立ちから戦国時代をかけて来た、織田信長の叔母である「おつやの方」女城主、徳川時代の平和時代から明治維新まで歴史のあれこれ。

関連記事

勝者・秀吉の挫折と 蟹江合戦局地戦で敗北直後に書かれた新発見書状の意味

   賤ヶ岳の戦いで秀吉と組んでいた信長の次男・織田信雄が、秀吉の勢力拡大に対して、羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)と織田信勝が徳川家康に助力を依頼して二手に分かれて戦ったのが「小牧・長久手の戦い」です。 …

岩村城の最前線だった飯場間城の遠山氏が苗木へ入城 Part1

遠山氏とは、源頼朝の重臣・加藤景廉(藤原利仁の子孫)が功績を残し、文治から建久(1185年〜1198年)の頃に遠山荘(現・恵那市・中津川市・瑞浪市の一部)を与えられたのが始まりで嫡男の景朝が築城する。 …

女城主おつやは降伏の条件で敵将に求婚された絶世の美女長良川で磔死

   こんにちは岩村町出身の歴史好きの隆太郎です。  岩村町には、今から約830前の鎌倉時代からの岩村城の歴史が残っています。     例えば、加藤景廉が山上村の邑長と会って、思案 …

真田幸村は大坂夏の陣で真田丸を造って徳川軍をキリキリ舞いさせる

大阪冬の陣は、慶長19年(1614年)に家康が大阪城に戦いを挑んだ戦いです。     豊臣側に参戦したのは浪人が多く、その中に、浪人五人衆(後藤又兵衛・長宗我部盛親・毛利勝永・明石 …

桶狭間の戦いは織田信長と今川義元との死闘の合戦はどういう理由で始まったか?

 永禄3年(1560年)上洛を目指して尾張に侵入した今川義元を、織田信長が雨の降る豪雨の中奇襲をかけて倒したと考えられています。 これが一般に知れ渡っている通説だと思います、   &nbsp …

東美濃の岩村城の歴史(いまから800年余に鎌倉時代に築城された山城、日本三大山城の一つ、他に岡山の備中『松山城」奈良県の「高取城」があります)について書いています。のちに世間に有名な人物は林述斎・佐藤一齋等を輩出した岩村藩は江戸時代になって松平乗紀(のりただ)が城下に藩学としては全国で3番目にあたる学舎を興し、知新館の前身である文武所とた。気楽に読んで頂ければ嬉しいです。