美濃国岩村城の歴史と関連武将たち

美濃国岩村城の生い立ちから戦国時代をかけて来た、織田信長の叔母である「おつやの方」女城主、徳川時代の平和時代から明治維新まで歴史のあれこれ。

関連記事

明智光秀の愛妻・煕子との出会、妻木城とはどんな城だったか?

妻木城は岐阜県土岐市の南部、妻木川を通って約4Km、三方を山に囲まれた小さな盆地が妻木町です。   いまでは、近辺にはゴルフ場が点在してます。     妻木城は標高409 …

源頼朝はなぜ鎌倉に留まって鎌倉幕府を開いたか?

   源頼朝は日本社会で初めて武士社会の権力を確立した武士団の頭領ということは、みなさん知っての通りです。   宿敵の平家を完膚(かんぷ)なきまでに破り、完全に権力を握った頼朝は、征夷大将軍 …

平家を滅亡させた源頼朝が鎌倉幕府を開いた理由は?武家政権と統治機構

「平家にあらずんば人にあらず」という言葉を知っている方は多いと思いますが、この言葉を発したのが平清盛か平時忠(姉は清盛の継室※1、しかも妹が後白河上皇妃ということで、結構な発言力を持ち、出世もどんどん …

応仁の乱が幕開け戦国時代の始まりとなった東軍・細川勝元&西軍・山名宗全が激戦

 応仁の乱とは、室町時代に日本で起こった内乱の一つです。 室町幕府の将軍後継や有力大名の家督争いに端を発し、東軍に細川勝元・西軍に山名宗全ら諸大名が分かれ10年以上に亘って京都を中心に戦を繰り広げた無 …

桶狭間の戦いの当日松平元康は大高城にいたーそして信長軍から逃げた

   戦国時代も半ばを過ぎた頃、駿河の守護大名今川義元(42歳)と尾張のうつけ織田信長(27歳)が桶狭間で衝突、その時、松平元康(17歳)は今川の先鋒で大高城へ兵糧の役目を仰つけられていた。 &nbs …

東美濃の岩村城の歴史(いまから800年余に鎌倉時代に築城された山城、日本三大山城の一つ、他に岡山の備中『松山城」奈良県の「高取城」があります)について書いています。のちに世間に有名な人物は林述斎・佐藤一齋等を輩出した岩村藩は江戸時代になって松平乗紀(のりただ)が城下に藩学としては全国で3番目にあたる学舎を興し、知新館の前身である文武所とた。気楽に読んで頂ければ嬉しいです。