恵那市といってわかる人はわかりますが、わからない人にはわからない地名です。
岐阜県恵那市です。
中央線の中津川市の手前です。
メジャーな土地柄でもないし、これといって特徴もない町です。
いまNHKで放映してる「鎌倉殿の13人」のメンバーには入ってませんが、頼朝の重臣で恵那市岩村町を任された加藤景廉という御家人が文治元年(1185年)に城を築いた。
その景廉が岩村町に城といっても最初は砦だと思います。
また、恵那市岩村町はNHKの朝ドラの『半分、青い。』の舞台となった町です。
つい最近では、役所広司主演の撮影が岩村町の重要伝統的建造物群保存地区で、題名は仮ですけど「宮沢賢治の親父」役でこの6月に撮影がされました。
恵那駅でいうと中山道大井宿があったり、明治天皇が宿泊された家が残っている、日本で最初にできたといわれる水力発電所の恵那峡という景勝地があります。
※どうして明治天皇が大井宿に泊まられたか説明してあります。興味のある方は明治天皇をクリックして記事を読んでください。
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老舗旅館のいち川の歴史
旅館「いち川」は恵那駅から歩6分の近さ好立地にあります。
尾張藩の大井宿は中山道69の内、江戸から数えて第46番目の宿場です。
※上記の大井宿をクリックして貰うと詳しい記事があります。興味ある方はご覧になってください。
当時は大井宿は中山道の宿場として賑わっていました。
特にここから分かれている、下街道は起伏が少なく、尾張(名古屋)への近道で、伊勢神宮参りの客が利用しました。
中津川方面からくると坂を下りて大井宿に入ると、道がくるくる曲がって、わずか七町のうち六ヶ所の枡形が造られています。
▲中山道イラスト図(ネットから流用)
築城古談によると大井城の城下町を造る予定があったようです。
町並みは、横町・本町・竪町・茶屋町・橋場と続きます。
当時は町中の道幅も広く、全部の家が板葺でした。
宿の人は兼業で、農家と商いをしていた者が多く忙しく繁盛していました。
(岐阜県歴史資料保存協会会長・太田三郎氏『濃飛の古道』より)
▲当時の大井宿の旅籠屋とその他店
当旅籠は、寛永年間の江戸時代に市川左右衛門が旅籠屋「角屋」を創業したのが始まりです。
大井宿に存在した41軒の旅籠で唯一現在もお客様を迎えて営業しています。
▲老舗旅館「いち川」の全景
初代から数えて、現役の大女将は14代・女将15代・若女将16代の3女将でお客さんを迎えてやっています。
旅館「いち川」の詳しい情報はURLをご覧になってください。
恵那市の町は古いから所々に見学する所がありますイラストをご覧になって訪ねてください。
近場にゴルフ場ありレジャーあり
旅館いち川より出かけるもに近いゴルフ場・マレットゴルフ場・恵那峡遊覧船・旧所探索・岩村城・大正村or明知城などいっぱいあります。
▲イメージ
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恵那水力発電大井ダム
恵那峡の名称は、大正9年(1920年)世界的な地理学者だった志賀重昴氏によって命名されています。
恵那峡は木曽川中流の渓谷で、大井ダムによってできた人造湖で、周囲の景観と人工の建造物が調和し恵那峡県立自然公園です。
▲恵那峡と桜
元々木曽川の急流によって形成された渓谷美がみられ、あの有名な福澤諭吉の婿養子の福澤桃介が電気事業に乗り出し、木曽川の豊富な水量と渓谷の地形を生かしたダムにより水力発電の開発を行い、現在に至っています。
大井ダムは日本最初のダム式発電所で高さ56.7m,幅275.7m、大正10年から大正12年にかけて造られ12Kmに巨大なダムを造りました。
▲大井発電所(中津川市)
ダムの両壁には、タモリさんも興味を持つだろう、鏡岩・傘岩・屏風岩・軍艦岩・獅子岩・千畳敷岩などの奇岩、怪石が続き、季節になると春の桜や初夏の新緑や秋の紅葉などが湖面に映りインスタ映えがします。
▲恵那峡遊覧船に乗ってみれる獅子岩・金床岩その他
是非訪れてください。
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恵那峡にまつわる伝説
恵那峡の駐車場付近にある大藤の大木は、伝説によると江戸初期元和元年(1615年)に発生した大阪の陣で、豊臣方に参戦した市川伝右衛門が、ここの場所まで落ち延び山の神(女神)を祀ったそうです。
ところが夫婦神の一方だった男神が弁天神によって心を奪われたため、藤の木の蔓によって絡め取ろうと一生懸命に藤を育てたため、現在のような大藤の大木になったと伝えられています。
この大藤は推定樹齢約400年、根元幹回り2.7m藤の木としては岐阜県を代表する大木とされています。
弁財天は元々は江戸中期に勧請され篤く奉斎されてきましたが、ダムによって沈む事になり、小高い山がそのままこの地に残り小島となった当地に遷座され、弁天島と呼ばれるようになりました。
弁財天は恵那峡を守護すると供に、音楽、弁財、福智、延寿、防災、得勝に御利益があるとして信仰されています。
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岩村城跡
恵那市から12Kmの所に岩村町があります。
岩村城は鎌倉時代に頼朝の重臣が築いた城で、その間信長の家臣、秀吉の家臣、江戸時代になると大給本家の松平、丹羽氏、大給松平藩分家が治めた城です。
恵那駅から明知鉄道に乗って、岩村駅で下車すると東方に鬱蒼と茂る城山が目につく、霧ヶ城(岩村城)はこの山頂にあります。
▲岩村城跡から見た城下町
駅から歩で城下町を通って行くと昔の面影を残した重要伝統的建造物群保存地区の街並みがあります。
城山までは緩やかな勾配があって、ダラダラと坂を登って行くと商店街があり、その中に岩村名物と言える、かんから屋の「かんから餅」と水半の「菊牛蒡味噌漬け」だけですが、そのほかカステラ屋が3軒、記者個人の好みのカステラ店は「かめや」さんです。
それぞれ味が違いますが大人の味をしてます。
さらに行くと昔藩主邸があった所に、復元された太鼓櫓があり、その奥には歴史資料館があります。
そこが城山の登城口となっています。
※上記の①をクリックすると岩村城の記事があります。
※上記の②をクリックすると①の続きの記事があります。
※上記の③をkリックすると②の続きの記事があります。
興味がある方は①②③を読んでください。