美濃国岩村城の歴史と関連武将たち

美濃国岩村城の生い立ちから戦国時代をかけて来た、織田信長の叔母である「おつやの方」女城主、徳川時代の平和時代から明治維新まで歴史のあれこれ。

「 未分類 」 一覧

岩村町の秋祭りは?八幡神社のいわれと武並神社のいわれ

2021/10/30   -岩村秋まつり, 未分類

       ▲平安朝の衣装を身にまとった岩村町の秋祭り   コロナのために二年続けて秋祭りが中止でした。(神事は行われました) 本来なら毎年10月の第一土曜・日曜日に町民上げて秋祭りが出来 …

清和天皇の家系図を辿ると源頼朝・河内源氏に繋がった!

2021/10/16   -未分類

   清和天皇は、先代・文徳天皇の第4皇子として誕生、3人の兄達をすっ飛ばして皇太子になったとき、わずか8ケ月、いくらなんでも無茶すぎますが、当時、藤原氏の時代、母が一族の姫だっため、母方の祖父・藤原 …

渋沢栄一と銀行家フリュリ・エラールとの出会いで学んだものは

2021/10/08   -未分類

 渋沢栄一は、明治に入って経済や商工業の面で我が日本を近代国家にすべく奔走した人物、「日本の資本主義の父」と言われる。     ではどうして栄一は経済に強くなったか?   …

鎌倉幕府は三代将軍・実朝亡き後突如藤原頼経を第四代将軍にしたのか

2021/10/05   -未分類

 朝廷政治から武家政治にしたのが、ご存知源頼朝。 今まで武士という者は、朝廷の飼い主で、武士は番犬の如く働いてきたのだったが、それを頼朝が源平合戦後勝利して、朝廷から幕府を創って政治を樹立したのが鎌倉 …

実業家となった渋沢栄一の家系図と子孫達の活躍

2021/09/30   -未分類

 明治になって日本を代表する実業家となった渋沢栄一は、最初の妻・尾高千代がコレラに罹って亡くなったのが明治15年(1882年)、後妻は伊藤兼子で明治16年(1883年)で、二人の間に七人の子に恵まれ多 …

渋沢栄一の明治維新からの活躍と功績!年表と主な出来事

2021/09/28   -未分類

   明治2年(1869年)渋沢栄一は、妻子を静岡に呼ぶ寄せ、商法会所の頭取として経営を指摘していた。   思えばヨーロッパ留学で学んだ資本主義の仕組み、先進的な化学技術を目の当たりにして日 …

渋沢栄一の前半生の年表!ちょんまげ頭からざんぎり頭の波乱万丈の人生

2021/09/18   -未分類

 渋沢栄一は血洗島で生を受け、尊王攘夷に明け暮れ、従兄の喜作と共に京都へ出て、平岡円四郎に出会った事により道が開けて行った。   一農家の人間が、一橋家の家臣になって慶喜公に謁見できるなんて …

日本三大仇討の一つ伊賀で二十九年目に親・兄の仇を討った石井兄弟

2021/09/16   -未分類

 明治以前は許されていたが、今の世は仇討ちは許されていない。 仇討ちで超有名な話は、浅野内匠頭が殿中で刀を抜いて吉良上野守に切りかかった話などは大方の国民が知っています。     …

岩村城最後の城主・松平乗命が新政府に加担して明治四年廃藩置県を迎える

2021/09/13   -未分類

 まず、岩村藩最後の城主・松平乗命とはどのような人物か? 大給松平家の文派八代、岩村城七代藩主、嘉永元年(1848年)六月に江戸屋敷に誕生する。                       …

岩村城下町は寺院多いが二代藩主・丹羽氏定が建立した七面山・妙法寺

2021/09/10   -未分類

  岩村城は敵が攻めて来た時、霧ヶ井戸に城内秘蔵の蛇骨を投じるとたちまち山全体が霧に包まれて城を守ったという。 蛇骨は二の丸の宝蔵に収蔵されており虫干しをした記録が残されている。 そのため別名・霧ヶ城 …

東美濃の岩村城の歴史(いまから800年余に鎌倉時代に築城された山城、日本三大山城の一つ、他に岡山の備中『松山城」奈良県の「高取城」があります)について書いています。のちに世間に有名な人物は林述斎・佐藤一齋等を輩出した岩村藩は江戸時代になって松平乗紀(のりただ)が城下に藩学としては全国で3番目にあたる学舎を興し、知新館の前身である文武所とた。気楽に読んで頂ければ嬉しいです。