美濃国岩村城の歴史と関連武将たち

美濃国岩村城の生い立ちから戦国時代をかけて来た、織田信長の叔母である「おつやの方」女城主、徳川時代の平和時代から明治維新まで歴史のあれこれ。

関連記事

比叡山延暦寺を焼き打ちにしたのは浅井・朝倉が逃げ込んだだけか?

   姉川の戦いで敗れた浅井・朝倉軍は、その後どうなったか? 一般的に、浅井長政・朝倉義景は「姉川の戦い」で自害したと思っているでしょう。 ところが自害したのは、天正元年(1573年)7月、北近江の城 …

江戸時代の三大お家騒動は加賀騒動・黒田騒動・伊達騒動と他のお家騒動19件

江戸時代の大名家では、藩主やその一族、家老などの一団の領袖となりうる立場の人間が派閥を作りあげて内紛を繰り広げた例が数多くあります。     そのような事象が脚色されて、歌舞伎・狂 …

定子の運命を変えた兄・伊周の“長徳の変”で流罪と叔父・藤原道長との関係

 定子が一条天皇の中宮になったのが14歳、定子と一条天皇は従姉弟同士、後から中宮になった彰子も同じ従兄妹同士でした。     定子には、父・藤原道隆と祖父・藤原兼家の後ろ盾があった …

清少納言は中宮・定子に仕えたー紫式部は中宮・彰子に仕えた二人の関係図

 清少納言は、藤原道隆の娘・定子に正暦四年(993年)前後に仕えて長保3年(1001年)頃宮廷を去っています。     一方、紫式部は藤原道隆の弟・藤原道長の娘・彰子に寛弘2年(1 …

織田家の「弾正忠」とは何か?織田信長の家に伝わる“正義の肩書”

 今から約450年前に「桶狭間の戦い」が豊明市の桶狭間で織田信長が今川義元を討ち取った話は大抵の人が知ってますよね。     なぜ、織田氏は今川義元の進軍を黙って通過させなかったの …

東美濃の岩村城の歴史(いまから800年余に鎌倉時代に築城された山城、日本三大山城の一つ、他に岡山の備中『松山城」奈良県の「高取城」があります)について書いています。のちに世間に有名な人物は林述斎・佐藤一齋等を輩出した岩村藩は江戸時代になって松平乗紀(のりただ)が城下に藩学としては全国で3番目にあたる学舎を興し、知新館の前身である文武所とた。気楽に読んで頂ければ嬉しいです。