美濃国岩村城の歴史と関連武将たち

美濃国岩村城の生い立ちから戦国時代をかけて来た、織田信長の叔母である「おつやの方」女城主、徳川時代の平和時代から明治維新まで歴史のあれこれ。

関連記事

臨済宗妙心寺高層和尚・希庵和尚を襲撃した祟りで武田信玄の天下取りは幻に終わった

武田信玄があの時死ななかったら、天下を取っていただろうか?と記者は自問自答した。   嫌がる希庵和尚を無理やり自分の菩提寺の僧侶にしようと思ったことが運の尽き、希庵は頑として断ったため信玄は …

渋沢栄一の前半生の年表!ちょんまげ頭からざんぎり頭の波乱万丈の人生

 渋沢栄一は血洗島で生を受け、尊王攘夷に明け暮れ、従兄の喜作と共に京都へ出て、平岡円四郎に出会った事により道が開けて行った。   一農家の人間が、一橋家の家臣になって慶喜公に謁見できるなんて …

渋沢栄一の家系図ー武闘討幕派から平岡円四郎との出会いで武士になる

   渋沢栄一の最初の配偶者は従姉妹の千代(1858年〜1882年=24年間)との結婚生活、後妻は兼子(1882年〜1934年=52年間)と結婚。 渋沢家の家系図を見てください。 この名前を知っている …

岩村城の女城主「おつやの方」は織田信長の叔母!家系図から見る

美濃国岩村城の女城主・おつやの方は織田信長の妹お市の方と共に絶世の美女として生まれが、年下の叔母さんである。     織田信長の叔母さんであるのお直の方またはおつやの方は、愛西市の勝幡城で( …

金ヶ崎の戦いで輝いた秀吉の殿!弟・秀長が兄を救った感動の奮戦記

 豊臣秀長は、まだ最初の頃は小一郎と呼ばれ、兄・秀吉(最初は木下藤吉郎)を陰で支え続けた補佐役だった。     目立つ派手な武功こそ少ないが、歴史を動かす重要な場面で「これは」とい …

東美濃の岩村城の歴史(いまから800年余に鎌倉時代に築城された山城、日本三大山城の一つ、他に岡山の備中『松山城」奈良県の「高取城」があります)について書いています。のちに世間に有名な人物は林述斎・佐藤一齋等を輩出した岩村藩は江戸時代になって松平乗紀(のりただ)が城下に藩学としては全国で3番目にあたる学舎を興し、知新館の前身である文武所とた。気楽に読んで頂ければ嬉しいです。