美濃国岩村城の歴史と関連武将たち

美濃国岩村城の生い立ちから戦国時代をかけて来た、織田信長の叔母である「おつやの方」女城主、徳川時代の平和時代から明治維新まで歴史のあれこれ。

明智光秀の愛妻・煕子との出会、妻木城とはどんな城だったか?

2020/07/06   -妻木城, 明智光秀

妻木城は岐阜県土岐市の南部、妻木川を通って約4Km、三方を山に囲まれた小さな盆地が妻木町です。   いまでは、近辺にはゴルフ場が点在してます。     妻木城は標高409 …

うつけと呼ばれていた信長が天下を狙う知能と運の良さを発揮する

2020/06/05   -未分類

よく映画やドラマを観てると信長は、「うつけ」と言うことが報じられています。 では、「うつけ」とは、どいうことを言うのでしょうか?   信長の生い立ち、幼名は吉法師 織田信長とは、天文3年(1 …

苗木城跡の周辺観光と歴史探究〜あっと驚く巨石の城跡めぐり

2020/05/21   -苗木城, 苗木城

 美濃国苗木城へ行って、新緑の美しい風景を眺めながら歴史をもっと知りたく出かけることにしました。   まず、苗木城へ行くには、中央自動車道を中津川ICで降りると国道19号線にぶつかります。 …

本能寺の変の真実は以外やいがい斎藤利三と家康の陰謀で起こった黒幕は•••

2020/04/24   -未分類, 本能寺の変

ここに、斎藤利三という人物が現れ、それは何者で誰じゃんと読者は怪訝な顔して不思議に思う人もいるでしょう。                                 ▲斎藤内蔵助利三の図 …

明智光秀の家紋は、土岐氏のながれをくみ桔梗紋それも水色桔梗を家紋にした

2020/04/07   -桔梗紋

家紋とは、一体なんだろう? 明智光秀が用いていた家紋は土岐氏の流をくむ「桔梗紋」を使いました。                               ▲以前に可児市まで行って写真を撮ってきました …

細川ガラシャと細川忠興との間の6人の子供たち

2020/03/29   -未分類, 細川ガラシャ

細川ガラシャは(結婚前は明智珠または玉:たままたはたまこと言ってました)で 父親が明智光秀だということは、ひろく知られています。                     ▲細川忠興と細川ガラ …

日本三大山城の一つ岩村城の始まりは加藤景廉、遠山氏以降の城主と登ってみたい本丸まで。

2019/11/29   -未分類

岩村城へ登には、岩村町の東側にある山を目指して行けば行けます。 入り口には資料館と佐藤一齋の銅像、その上に行くと下田歌子・三好学の銅像があります。   藤坂から本丸までの道案内。 &nbsp …

おつやの方と信長は子供の頃野山で遊んだ仲、織田信長の愛刀「へし切長谷部」

信長の愛用してた刀に興味ありませんか?     岩村城の女城主は、いわゆる信長の年下の叔母さんです。 叔母ということは信長の祖父〔尾張国の織田大和守家(清洲織田氏)に仕える清洲三奉 …

岩村町の三森山は信仰の山、救いを求めた大圓寺・富田地区の住民たち、恵那山と天照大神。

2019/09/24   -信仰の山

三森山は町民の信仰の山、岩村城と並んで立っている。   その岩村町三森神社の由来と恵那山の由来。   三森神社のことを地元(現・岩村町富田)の人は、”三森さん“;とこんなふうに呼ん …

岩村城の城下は以前は富田地区にあった、天正時代に入って城主・河尻鎮吉が今の城下に移転する。

2019/08/18   -城下町

岩村城下町は歴史があって、富田地区から現在の城下に移転して、町造 り特に天正疎水を上町から商家地域に引いた武将は、城主になった川尻慎吉です。   岩村城・築城は源頼朝の重臣・加藤景廉が望んで …

東美濃の岩村城の歴史(いまから800年余に鎌倉時代に築城された山城、日本三大山城の一つ、他に岡山の備中『松山城」奈良県の「高取城」があります)について書いています。のちに世間に有名な人物は林述斎・佐藤一齋等を輩出した岩村藩は江戸時代になって松平乗紀(のりただ)が城下に藩学としては全国で3番目にあたる学舎を興し、知新館の前身である文武所とた。気楽に読んで頂ければ嬉しいです。