美濃国岩村城の歴史と関連武将たち

美濃国岩村城の生い立ちから戦国時代をかけて来た、織田信長の叔母である「おつやの方」女城主、徳川時代の平和時代から明治維新まで歴史のあれこれ。

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渋沢栄一の明治維新からの活躍と功績!年表と主な出来事

投稿日:2021年9月28日 更新日:

   明治2年(1869年)渋沢栄一は、妻子を静岡に呼ぶ寄せ、商法会所の頭取として経営を指摘していた。

 

思えばヨーロッパ留学で学んだ資本主義の仕組み、先進的な化学技術を目の当たりにして日本は遅れていると感じてた。

 

 

それは同時代に整備された水道設備や、蒸気機関車、エレベーターなど、どこを見ても日本にはない物ばかり、これは何とかしないと。

様々な体験をした栄一は、特に銀行株式会社の仕組みに心を打たれた。
多くの人から集めた資金で事業を行い、利益を分け合う資本主義に感銘を受けたのです。

 

 

この仕組みを教えてくれたのが、パリ滞在中に経理などの相談役を担ってくれた、銀行家の「フリュり・エラール」でした。
こうして帰国した栄一は、静岡で実践した。

大隈重信が渋沢栄一を明治政府に入れた。

 

 

渋沢栄一の明治以降の年表

明治2年(1869年)29歳の時

静岡藩に日本初の株式会社となる「商法会所」設立する。
大蔵大輔※1であった大隈重信の説得により、「民部省租税正」兼「民部省改正掛長」として仕える。

※民部省とは、明治政府における官庁の一つ。土木や鉱山、通商など、民政関連の事務を担当した省です。

※1.大蔵大輔とは、太政官制下における大蔵省の次官職。同等の地位に大蔵少輔がある。

 

明治2年7月(1869年8月)の大蔵省創設時に際して設置。

明治4年8月(1871年9月)の大蔵省職制によると、その権限は「職掌卿二亜ク」と大蔵卿と同等とされ、その職業は大蔵卿の補佐・代理定められた。

1885年12月の内閣制度創設に伴い、廃止。その職業は大蔵次官へと継承された。

 

 

●主な出来事

□明治2年1月27日、旧幕府軍が「蝦夷共和国」を樹立。
戊辰戦争の一局面
□明治2年2月11日、観音崎灯台(日本初の西洋式灯台)が初点灯する。

 

□明治2年2月19日、蝦夷松前藩・第14代藩主・松前修広が襲封(子孫ま  たは諸侯が領地を受けつぐこと)

□明治2年2月26日、アメリカ合衆国で憲法修正第15条が提案される(批    准・成立は1870年)

 

□明治2年3月6日、 歌会始め復興。
□明治2年3月19日、公議所が開所。

□明治2年3月20日、新聞紙の刊行が許可される。
□明治2年3月21日、品川県が設置される。

 

□明治2年3月24日、金座・銀座が廃止される。
□明治2年3月25日、東京府で朱引内市街地(開墾禁止)と朱引外郷村(開         墾奨励)が設定される。

 

□明治2年4月18日、東京奠都のため、明治天皇が京都を出発。公議所が  開所する。
□明治2年4月26日、天文及び浅草・九段の天文台が廃止される。

 

□明治2年5月9日、東京奠都、明治天皇が東京に到着する。
□明治2年5月20日、函館湾海戦が勃発:戊辰戦争の一局面、同年6月終  結。

 

□明治2年6月27日、函館戦争が終結。
□明治2年7月3日、為替会社が設立される。
□明治2年7月25日、版籍奉還が成る。

 

□明治2年7月30日、海軍操練所(海軍兵学校の前身)が設立される。
□明治2年8月6日、戊辰戦争の官軍側戦死者を祀る神社として東京招魂   社 (のちの護国神社)が設立される。

 

□明治2年8月15日、明治政府が太政管制を導入(職員令により、民部      省・大蔵省・兵部省・刑部省・宮内省・外務省の二官六省制を採用)。

■大蔵省は2001年(平成13年)の中央省庁再編により財務省となり、ほとんど現存しないが、外務省は現在も改称せずに現存してる。

 

□明治2年9月20日、明治政府が蝦夷地に開拓使を設置。同時に蝦夷地は  9月に北海道という名称に定められる。11国86郡 が設置される。
□明治2年9月24日、アメリカ合衆国で金融危機「暗黒の金曜日」が発生。

 

□明治2年10月22日、築地に海軍操練所が設置される。
□明治2年10月27日、西園寺公望が私塾立命館を創設。
□明治2年12月25日、公衆電報の取り扱いが開設される(東京〜横浜間)

 

 

明治5年(1872年)32歳の時

当時の大蔵省の三等官「大蔵少輔事務取扱」に就任する。
渋沢栄一の主導により「富岡製糸場」が操業開始。

※上記の冨岡製糸場をクリックしていただくと、詳しいブログが書いてありますので、興味ある方は読んでください。

 

同じく「三井小野組合銀行」(のちの第一国立銀行)を設立。

 

●主な出来事

□明治5年1月2日、府県廃合を完了(3府72県)
□明治5年3月14日、浜田地震(M7.1死者約550名)
□明治5年3月29日、東京日日新聞創刊

 

□明治5年4月8日、東京府内で郵便施行(5月に全国拡大)
□明治5年4月17日、文部省博覧会開幕(東京初の博覧会)
□明治5年5月6日、東京城を皇居と治定:これより京都行きは還幸では    なく行幸となる。

 

□明治5年5月8日、書籍館開館(昌平坂学問所跡地、日本初の公共図書館)
いろは組(町火消)廃止。

 

□明治5年6月12日、品川〜横浜(のちの桜木町)間で鉄道仮営業開始、  品川駅・横浜駅(初代)開業。
□明治5年6月30日、大久保一翁が東京府知事となる。
□明治5年7月1日、全国に郵便施行。

 

□明治5年7月10日、川崎駅・神奈川駅(現存しない)開業。
□明治5年7月15日、郵便報知新聞(後の報知新聞)創刊。
□明治5年8月2日、自葬(神官・僧侶に依頼しない葬儀)を禁止。
□明治5年9月5日、学制発布。

 

□明治5年10月14日、新橋(後の汐留)横浜間で日本初の鉄道正式開業   (鉄道の日)。翌日より運輸開始。新橋駅(初代)鶴見駅開業。
□明治5年10月31日、横浜で日本初のガス灯が点灯。

 

□明治5年11月2日、芸娼妓解放令(人身売買禁止)
□明治5年12月3日、日本国郵便蒸気船会社設立(半官半民)

 

 

明治6年(1873年)33歳の時

大蔵省を退官する。

第一国立銀行(後の第一銀行)を開業、総監役を勤める。
「王子製紙会社」の前身となる「抄紙会社」を創立。のちに取締役会町を勤める。

●主な出来事

□明治6年1月10日、徴兵令施行。以後、現役兵の入営日となる。
□明治6年1月22日、華族・士族・兵民間の養子縁組を許可。
□明治6年2月7日、 復讐厳禁(仇打ち禁止令)布告。

 

□明治6年5月5日、皇居炎上。天皇皇后、赤坂離宮(元・紀州徳川家中屋敷)  へ避難。
□明治6年6月16日、福岡県で明治新政府に抗議する筑前竹槍一揆勃発。
□明治6年10月14日、祝祭日休暇制定(年中祭日祝日ノ休養日を定める)

 

 

明治8年(1875年)35歳の時

第一国立銀行の頭取に就任になる。
「商法講習所」を創立する。(現在の一橋大学)

●主な出来事

□明治8年6月5日、度量衛取締条例布告(尺貫法を統一)
□明治8年12月16日、抄紙会社(後の王子製紙)が開業(紙の記念日)
□明治8年12月25日、周防灘で海難事故、大阪丸(海軍省)と名古屋丸(三    菱会社)が衝突し、大阪丸が沈没(死者25名)

 

 

明治11年(1878年)38歳の時

渋沢栄一を始めとする、有力財界人らが出願したことにより、「東京株式取引所」を設立。

渋沢栄一と実業家の大倉喜八郎が発起人となり「東京商法会議所」を発足する。

 

●主な出来事

□明治11年1月11日、伊豆諸島が静岡県から東京府へ移管される。
□明治11年2月20日、海外旅券規則制定。旅券という語が初めて使われる (旅券の日)

□明治11年3月12日、東京商法会議所(後の東京商工会議所)設立。
□明治11年5月14日、紀尾井坂の変(大久保利通暗殺)
□明治11年5月15日、東京株式取引所設立(開業6月1日)

□明治11年6月10日、陸軍士官学校新築開校式(市ヶ谷台)。
□明治11年12月5日、大日本帝国陸軍省参謀局が参謀本部として独立す              
る。

明治15年(1888年)48歳の時

妻・千代がコレラに罹ってなくなる。
渋沢栄一が発起人となり、「大阪紡績株式会社」(現・東洋紡株式会社)を設立。後に相談役となる。

 

●主な出来事

□明治15年1月4日、軍人勅論発布
□明治15年3月20日、上野動物園開園する。

□明治15年6月5日、嘉納治五郎が東京下谷稲荷の永昌寺に柔道場(後の                                 講道館)を開く。
□明治15年6月25日、東京馬車鉄道開業(新橋〜日本橋)

 

 

明治16年(1883年)43歳の時

伊藤兼子と再婚

 

●主な出来事

□明治16年2月16日、東京気象台(後の中央気象台)が日本で初めて天気  図を作成(天気図記念日)

□明治16年7月25日、岩倉具視国葬(初の国葬)
□明治16年11月28日、鹿鳴館開館

 

 

明治18年(1885年)45歳の時

「日本郵船会社」を創立、後に取締役を勤める。
「東京養育院」院長となる。

渋沢栄一が創立委員長となり、「東京瓦斯会社」現・東京ガス株式会社を設立、後に取締役会長を勤める。

 

●主な出来事

□明治18年3月1日、日本鉄道:品川線開通(品川〜渋谷〜内藤新宿〜日本橋〜    赤羽)
□明治18年3月16日、日本鉄道:品川線目黒駅開業

□明治18年5月9日、日本銀行券発行開始)拾圓券
□明治18年12月22日、伊藤博文が初代・内閣総理大臣に就任

 

 

明治20年(1887年)47際の時

渋沢栄一が発起人となり「日本煉瓦製造会社」を創立。
井上馨の提唱により、大倉喜八郎と共に「帝国ホテル」を創立する。

大倉喜八郎、浅野総一郎らと「札幌麦酒会社」現・サッポロビールk株式会社を創立、後に取締役会長を勤める。

 

●主な出来事

□明治20年7月11日、東海道線横浜・国府津間が開業。
□明治20年12月10日、東京ホテル設立(1890年に帝国ホテルとして開業)

 

 

明治21年(1888年)48歳の時

伊藤博文、勝海舟らと「東京女学館」を開校。のちに館長を勤める。

 

●主な出来事

□明治21年4月30日、黒田清隆が第二代・内閣総理大臣に就任。

 

明治23年(1890年)50歳の時


□明治23年2月27日、浅草区で大火(消失1469戸)

□明治23年3月6日、丸の内近辺の官有地が岩崎弥之助に払下される。

□明治23年4月16日、三宅島でM6.8クラスの地震発生。
□明治23年7月1日、第一回衆議院議員総選挙。
□明治23年11月24日、帝国議会議事堂竣工(明治24年1月完成)

※明治23年(1890年)11月24日(第1回帝国議会召集の前日)竣工。木造洋風2階建て。同年11月29日に貴族院議場において開院式が行われ、我が国最初の議会である第一回帝国議会が開会しました。しかし、翌24年1月20日未明に出火し数時間で焼失、漏電と言われています。議会開会中のため、貴族院は家族会館(旧鹿鳴館)、衆議院は東京女学館(旧工部大学校)に議場を移しました。貴族院はのちに家族会館が手狭なため帝国ホテルに移転しました。

                                                  ▲帝国ホテル

 

 

明治34年(1901年)61歳の時

「日本女子大学校」現・日本女子大大学を開校、のちに校長となる。
「飛鳥山公園」現・東京都北区内にあり、重要文化財に指定されている「飛鳥山邸」を本邸とする。

 

●主な出来事

□明治34年4月3日、第4次伊藤内閣総辞職。
□明治34年6月2日、第1次桂内膜成立。

 

 

明治42年(1909年)69歳の時

実業界引退を表明。
第一銀行、及び「東京貯蓄銀行」(第一銀行系の貯蓄銀行)を除く、61の会社役員を辞任。

 

●主な出来事

□明治42年5月20日、味の素発売(鈴木製薬所)
□明治42年7月31日、大阪市北区の大火(天満焼け)、焼失戸数11,365  戸罹災地面積1.2平方キロ。

 

□明治42年10月26日、伊藤博文がハルビン駅で安重根に暗殺される。
11月4日日比谷公園で国葬。
□明治42年11月11日、米海軍が真珠湾に基地を建設する。

 

 

大正5年(1916年)76歳の時

第一銀行の頭取などを辞職して、実業界を正式に引退する。
書籍「論語と算盤」を著し、「道徳経済合一説」という考え方を提唱する。

 

 

●主な出来事

第一次世界大戦は大正3年(1914年7月26日)から大正7年(1918年11月11   日)にかけて、連合軍中央同盟国との間に繰り広げた長きの世界大戦です。

□大正5年1月17日、全米プロゴルフ協会創立。
□大正5年10月9日、寺内内閣成立。

 

 

昭和6年(1931年)91歳の時

□11月11日永眠。

 

 

 

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